Rouge et Bleu
それはどこまでも美しい直線を描いて目標へと突き進んだ。
真っ直ぐに、ただ、愚直なまでに真っ直ぐに。
よく晴れた日だった。
雲一つない快晴の空は、この国では、まして彼女の住む土地では珍しい。
利と力を求め自然を淘汰する故に、黒き王が治めるこの土地は分厚い雲に覆われることが多く、日の恩恵を受けることが殆どないのだ。
青い色に誘われるように、は本を捲る手を止めて硝子越しの空を見上げた。
白いレースのカーテンに遮られることなく日の光が部屋の中に差し込む。
が魔力で作った椅子から腰を上げると、支えるべき者を無くした椅子はたちまち砕けて光に溶けた。
陶器の割れる様な澄んだ音に意識を払うことなく、白い繊手がレースのカーテンを払う。
途端に突き刺すような光が彼女の網膜に焼きつき、次いで眩しいほどの青い空が瞳に映った。
の瞳よりも濃い青、どちらかといえば彼女の弟と、戸籍上の息子の色に近いだろう。
愛しい家族を思い出した途端、胸の奥がつんと痛む。
所詮は下らない感傷に過ぎない。
懐かしむぐらいならば早く帰る手段を探せばいいとわかっていても、は鮮やかな青から目を逸らすことができなかった。
「ダンテ……」
自然と零れ落ちたのは愛おしい名前。
答える人はこの世界にいないというのに。
が伸ばした手は、冷たい硝子窓に触れるだけだった。
夜の帳が下りるとは持っていた本を棚に戻す。
結局最初の数ページしか読み進められなかった。
後の時間をずっと空を見上げることに費やしてしまったは、何とも言えない罪悪感にも似た焦燥に駆られ、乱雑にカーテンを閉めた。
空は暗く闇に染まっている。
この色の方がこの国には青空よりもよほど相応しいだろう。
ここは漆黒の王が支配する国、なれば、空の色さえも黒く染め上げてしまえばいい。
「……らしくないな」
感傷も過ぎると虚しいだけだ。
窓に背を向けて廊下へと向かう。
そういえば今日は満月だった。
はこの世界に来た夜の月を思い出す。
赤い血の色をした禍々しい月だった。
今夜の月はそれとよく似ていた。
だからかもしれない、こんなにもあの世界を思い出してしまうのは。
ふっと、自分の考えを鼻で笑い、は部屋のドアを開けた。
鍵は元より掛かっていない。
掛ける意味がないからだ。
此処には彼の王の許しがなければ誰も立ち入ることは許されず、王は己と唯一の臣下以外がここに立ち入ることを許さない。
逆に、がここを出たいと本気で思えば鍵など意味をなさない。
扉ごと閻魔刀で斬り捨ててしまえばいいのだから。
かつんかつんと、ヒールの高いブーツでわざと足音を立てながらは城内を歩く。
静謐な夜の冷たい空気は、空調の完備された城の中にも沁み込んでいた。
寒いというわけではない。
人寂しいというのが一番近いだろう。
思い出してしまった温もりに耐えきれず、はこの世界で会話することのできる二人に会うべく足を進める。
何も知らない人間ならば、城内に五万といる人間と話せばいいと指摘するかもしれないが、とて言葉を交わした相手が次の日にはこの世から消えているということを何度か繰り返せば流石に学習する。
この国においては命の価値が悲しいほどに軽いのは理解しているが、自分の所為で摘み取られるのはあまり愉快ではない。
故に彼女は素直に二人の人間のみを相手にするようになった。
重厚な扉越しに声が聞こえる。
何やら騒がしいが、気にすることなくは扉を叩いた。
ノックは三回、少しの間を置いて二回。
お決まりの回数叩いてから、返事がないのをいいことには扉を開けた。
「Come and get me!(捕まえてみな!)」
「……散れ」
扉を閉めた。
疲れているのか故郷への想いが募りすぎたのか、どうやら幻覚が見えるようになったらしい。
はふるふると頭を振って、先ほどの光景を脳内から追い出そうとする。
見なかった。
相も変わらず半裸コートの弟がシキと斬り合っている光景なんて見なかった。
今聞こえてくる物の壊れる音やテンションの高い笑い声なんかは幻聴だ。
たとえそれがよく聞きなれたものだったりしてもやっぱり幻聴なのだ、そうに決まっている。
自分の名前を呼ぶ声?
聞こえない聞こえない。
「今日は部屋で大人しくしていよう」
読みかけの本を読んでしまうというのも中々よさそうだ。
今なら本に集中できる自信がにはあった。
誰に言うでもなくそう宣言すると、は元来た道を戻ろうとした。
『!』
バキィッとかメキィッといった音を立てて、扉が真っ二つに砕け散った。
破片が飛び散っての頬を掠めていく。
『! 会いたかった!!』
久々に聞く英語で捲し立てられ体を抱きしめられる。
慣れた体温、遠くにあるはずの温度。
揺れる髪の色は自分と同じ銀、間近に潤んだ青い瞳は空の色を映したかのよう。
「ダン……テ……?」
見開かれていた氷の色が自我を取り戻す。
『よかった、無事だな!? ああクソッ、ほんとによかった!』
ペタペタと全身に触れながら姉の無事を確認するダンテに、は手を伸ばす。
くしゃりと髪に触れる。
銀の髪は変わらず柔らかいままで、少し握れば手の中で跳ねる。
ぺたりと、反対の手が頬を撫ぜた。
『少し、痩せたか』
『美味いメシを作ってくれるヤツがいなかったんでね』
手が離れる。
名残惜しそうに白い指を視線で追っていたダンテは気付かなかった。
姉が後ろに下がって自分と距離を取っていたことを。
『こんの、馬鹿がーーーーーーー!!!』
それはどこまでも美しい直線を描いて目標へと突き進んだ。
真っ直ぐに、ただ、愚直なまでに真っ直ぐに、ダンテの頭部へと靴底が飛ぶ。
避けることも受け止めることもできずに、その秀麗な顔にの両足が突き刺さった。
ヒールがピンであるだけに、比喩でなく本当に突き刺さった。
勢いのまま投げ飛ばされるダンテの体を壁代わりに、蹴った反動を利用しては宙で一回転するとしなやかな獣のように床に着地した。
同時にダンテに向けて再び叱咤の声を飛ばす。
『見知らぬ土地でいきなり喧嘩を売る奴があるか馬鹿者! まずは現状確認、次いで情報収集だろうが!!』
はっきり言うならば、シキがダンテと斬り結ぶことなどありえないのだ。
なにせ相手はラインでどれだけ身体能力が上がっていようとも元はただの人間だ、半人半魔のダンテに敵う筈がない。
というかに勝てないのだから、強さが同等のダンテにも勝てるはずもないのだ。
つまり、ダンテは遊んでいたのだ。
そのことについて普段ならばどうこう言うつもりはないが、異世界に来てまでやることは同じかと思うと、再会の感動よりも先に怒りが沸いた。
その結果がドロップキックである。
くるりと身を翻し、壊れた扉の奥で一部始終を見ていた二人に声を掛ける。
視線が合った瞬間、二人の体が怯えるように震えたのは気のせいだろう。
なんせ国のNo.1とNo.2だ、これしきで驚いたり引いたりする筈がない、そうに決まっている。
「すまない、私の弟が迷惑をかけた」
「なっ……!?」
「弟、だと……?」
我に返ったシキとアキラが、信じられない物を見る様な目でと、飛んで行ったダンテを交互に見比べる。
外見は兎も角、中身が似ていないにもほどがある。
それを言ったらリンとシキも似ていない点の方が多いのだが、それはそれ、これはこれである。
「以前言っただろう……グンジに似た知り合いがいると」
二人の頭に、かつてトシマにて恐怖の代名詞として語られた処刑人の片割れが思い浮かぶ。
半裸に上着という服装のセンス、馬鹿っぽい言動、好戦的な態度。
よく考えれば似ているかもしれない。
よく考えなくても共通する点がある。
「なるほどな」
「弟君のことだったのですね……」
アキラの生温かい視線が――気の所為でなければ総帥と呼ばれる男からも同じような視線が注がれている――少しばかり痛い。
ええい憐れむな!
そんな目でこっちを見るな!!
青の女王が馬鹿な子に対して優しい理由の一端を垣間見た二人であった。
アキラなどは、だから総帥にも優しいんですねと、ついうっかりと口に出しそうになって慌てて噤んだ。
不敬にもほどがある。
本当に敬愛している上司なのか小一時間問い詰めたい。
尊敬の念と現実とはまた別ですと、あっさり言い切られそうだが。
『いってーよ! 久々に会った可愛い弟に対しての挨拶が蹴りか!?』
『当然だろうこの馬鹿。可愛いとか自分で言うな馬鹿。だからお前は考えなしなんだ馬鹿』
『馬鹿馬鹿言うなっつーの!』
『馬鹿は馬鹿なんだから仕方がないだろう馬鹿』
もはや全ての語尾に馬鹿が付きそうな勢いでは立ち直った弟に畳みかける様な罵声を浴びせ掛ける。
だがダンテを見る瞳は言葉とは裏腹に驚くほどに優しい。
親愛の情というには甘さを孕んだ熱を乗せて、氷色は真っ直ぐに己が半身を見つめる。
行動はバイオレンスそのものだが、愛情は本物のようだ。
なるほどこれが話に聞くDVかと、刀を鞘に収めた総帥は何処かずれた感動を味わっていた。
自分の行動を振り返れば十分DV夫の代表例になることに早く気付け。
『取り敢えず……久しいな。会えて、嬉しい』
『最初っからそう言ってくれよ』
青が華のように笑み、赤が獣のように笑った。
一対の絵画のような二人は、まさしく互いを半身とする比翼連理だった。
一周年リクエスト企画「咎狗でダンテが登場する話」雲雀様