グランギニョルの果て

ゆるりゆるりと幽鬼のような白い影が『城』の中を闊歩する。
誰もがその存在から目をそらし、なきものとして扱っていた。
その見目の美しさに惑わされてはいけない。
儚くか弱いように見えるそのイキモノに囚われ溺れた先に待つのは死だけだ。
ここはヴィスキオ、王の居城、血と麻薬で築かれた闇の巣窟。
王の華の蜜を吸い、一体誰が生き残れるというのだろうか。
舞うように跳ねるように、王の寵姫は城を歩きながら今日の獲物を探す。
彼にとってすべてはゲーム。
己が主のいない時間を潰し、帰ってきた後に存分に『遊んでもらう』ための暇つぶしに過ぎない。
彼は白いシャツ一枚だけを身に纏った姿で歩き続ける。
その姿が獲物を誘うことを知っているからだ。
彼は一人、蝶の様に舞いながら狡猾な蜘蛛の様に獲物を待っている。
城の中は空調が完備され、足元は毛足の長い絨毯で覆われている。
彼を害す者は斬り捨てられるのは誰もが知ることだ。
『城』の内では彼が傷つくことなどない。
何故なら『城』は寵姫のために、ひいては王の娯楽のために設えられたものなのだから。
「アキラ」
背後からかけられた静かな声に、ふらふらと歩いていた彼は振り向く。
顔など見ずとも誰の声だかはわかっていた。
彼の名前を呼ぶ人は、王と彼女以外、もうこの世には存在しない。
!」
華が咲きほころぶような満面の笑みで彼は声の主に走り寄る。
そのままの勢いで飛びついてきた痩身をは危なげなく抱きとめる。
少しばかり自分より小さいアキラを腕の中に納めて彼女は笑う。
「軽いな、羽のようだぞ」
ちゃんと食べているかと心配するの顔を覗きこんでアキラは悪戯っぽく笑う。
が食べさせてくれるなら、ちゃんと食べるよ」
「仕方のない子だな」
腕を緩めると筋肉の薄い手にしなやかな掌が重なる。
ふふっと不敵に笑んだに、アキラも鮮やかな笑みを返した。
アキラは絶対的な王であるシキの所有物であり、同時に孤高の女王であるの被保護者でもあるのだ。
彼女はシキと対等な立場を貫く傍観者でありながら、思いついたかのようにアキラを庇護してみせる。
常は無言を貫く彼女がアキラにのみ差し伸べる手はいつだって優しい。
「さ、ティータイムと洒落込もうか」
先導するの後ろをついてアキラは楽しそうに歩く。
「今日のおやつは?」
「クッキーとマフィンを用意した」
「楽しみだなぁ」
いつものようにの手作りなのだろう。
一度刀を握れば人の命を花を摘むような軽さで刈る彼女だが、同じ手で驚くほど美味な料理を作り上げる。
が作る程良い甘さと優しい口どけのお菓子は、元来食欲の薄いアキラさえも虜にしていた。
自然、足が軽くなる。
「ああ、そうだアキラ」
くるりとが足を止めて振り返る。
そのままぶつかってくるアキラを手で支えて、彼女は囁くように言った。
「あまり遊びすぎるなよ」
全てを見透かすような薄氷色の瞳がまっすぐにアキラを見据える。
瞳から感情は読み取れない。
そもそもそんなに深い意味で言っているわけではないのだろう。
『城』の人間が何人死んでも頓着する必要はない。
この国では命の価値は驚くほどに軽い。
いくらだって、替えはいる。
「はぁい」
年齢と不釣り合いなほどに無邪気すぎる返事に、は満足したようだった。
大して期待していないだけに、アキラが頷いただけでも十分なのだろう。
手を引いて再び歩き出す。
「今度一緒にお菓子でも作ってみるか?」
「うん!」
女王に引き連れられ、寵姫は黒に似た濃い赤い絨毯の上を歩んでゆく。
繋がれた白い手はどちらともなく芳醇で生臭い鉄錆の香りがした。