きみにイタズラ (確かに恋だった様より)

1.おはようの代わりに、


Devil May Cryの朝は意外と早い。
実権と家族の胃袋を握っている女性が早く起き、他二人が惰眠を貪ること良しとしないからだ。
とは言っても夜遅くまで仕事であったりすれば起こさないなどの気遣いはする。
まず朝食を作ってから、放っておけば昼まで寝ている弟やプライマリースクールに通う息子を起こすのは彼女の仕事だ。
ベーグルに野菜やサーモンを挟んでフルーツを切ると、二階に上がって行く。
エプロンで手を拭って、部屋のドアをノックした。
コンコンコンコン
「ネロ、朝だぞ」
返事はない。
珍しいことだと彼女は腰に手を当て考える。
ネロは戦闘時以外ぐうたら駄目人間な父親に似ず、しっかりした子だ。
いつもならこうして声をかけるだけですぐに起きてくれる。
「ネロー、早く起きないと学校に遅れるぞー」
多めに宿題を出されたのだろうかと、もう一度ノックしながら声をかけるが、やはり返事はない。
時間は過ぎる一方だと、ドアを開けた。
真っ先にベッドですやすやと眠りにつく少年の姿が目に入る。
安らかそうな寝顔につい手を伸ばし、額に掛かった髪を指で避ける。
ついでとばかりに額に手を当てるが、発熱している様子はない。
ならばただ眠っているだけかと肩に手を乗せて体を揺さぶる。
「ほら、早く起きなさい」
「んぅ……」
むにゃむにゃと何事かを言いたげに夢と現の狭間を彷徨う息子は大層可愛らしいが、残念ながらそれを微笑ましく見守っている時間はあまりない。
「ネロ、ほら朝だぞ。学校に行かないと、ね?」
「うぅー、もぉおきるぅー」
「よし、いい子だ」
おぼろげながらも意識が覚醒してきたのを確認して、カーテンを一気に引いた。
眩しい朝の日差しが目に突き刺さる。
「……おきたっ!」
「はい、おはよう」
「んっ!」
ネロは自分の部屋にいる母親に驚きながら、しかし大好きな彼女の笑顔に嬉しくなった。
その感情をそのまま表現する方法を彼は知っている。
「かあさん、こっち! こっちきて!」
呼べばわざわざ目線を合わせてくれる。
近くに来た顔ににんまりと父親の血を感じさせる顔で笑ったネロは、そのまま柔らかい頬にキスをした。
「おはよっ!」
呆然としている母親に自分の企みが成功したことを確信したネロは、母親の横を通り抜けて食事の用意されている一階へと楽しげに降りて行った。



2.怒らせてみたくて


、 ネロは母親が怒ったのを見たことがない。
実際何度かダンテに怒っている現場に居合わせたことはあるのだが、その後何がなされているかは知らない。
ネロにはまだ少し刺激が強すぎると母は言う。
ダンテは遠い目でR指定だと、決め台詞のはずのそれを乾いた声でネロに告げた。
ということでまだネロは母親が怒っている場面をきちんと見たことがないのだ。
それはちょっとした好奇心だった。
『怒ったところを見てみたい』
母親の強さとか意外に攻撃的なところを熟知した十年後の彼が聞けば、何と恐れ知らずなと慄く様なことを、幼いネロは考えていた。
当然、両親のバイオレンスな日常を知らないからこその考えである。
スプラッタが苦手な人間なら5分でトラウマができる姉弟関係だというのに。
無知とはかくも恐ろしい。
「なにしたらおこるかなぁ?」
何しろネロはとってもよい子である。
スラム街住まいとは思えないほど純粋培養のお子様には、母親の怒りを買うだけのことが思いつかない。
本当に、ダンテの実の息子とは思えない純粋さである。
何か悪戯しようと思っても、ついその後のことを考えてしまう。
物を壊したら買い替えなくちゃいけないからダメ、ご飯に何かするのは勿体ないからダメ、人に迷惑をかけたらいけないからダメ。
結局、何もできないでいる。
「よ、どうしたんだネロ?」
そこに救いの手が差し伸べられたのはネロがあまりにもよい子だったからかもしれない。
誰よりもネロの母親に怒られている男が、ココアを差し出しながら現れたのだ。
「ダンテ!」
彼ならば、他の誰かに迷惑をかけず母を怒らせる方法を知っているに違いない!
ネロはココアを受け取るのも忘れ、ダンテに頭を下げた。
「おかあさんをおこらせるほうほうをおしえて!」
「はぁっ?」
破天荒を地で行くダンテも息子の突然の申し出に驚嘆を露わにした。
しかも内容が内容だ、姉に聞かれたらダンテが踏みつぶされること間違いなしだ。
何処をとは推して知るべし、悪魔の頭を踏み砕くピンヒールの威力は伊達ではない。
ダンテは古い事務所の天井を仰ぎ頭を手で押さえて、それからネロに向き直った。
コトリとココアをテーブルに置いて、ネロの小さな肩に両手を添えた。
「ネロ、世の中にはな、知らなくてもいいことがある。姉貴が怒ってる姿もその一つだ」
だからやめておけと、真剣な表情で彼はコンコンと息子に説いた。
「でも、みてみたい……」
母の滅多にない表情を見たい、けれども迷惑は掛けたくない。
揺らぐ少年の心をダンテは用意されていたおやつで見事に釣り上げた。
数年後、ネロはダンテが自分を止めた本当の理由を知る。



3.気づいて欲しいから、


微かに服の端が引っ張られたような気がして、彼女は背後を振り返った。
予想通りそこにいるのは友人のレディで、細い指先がコートの端を摘んでいる。
「どうした、レディ」
「う、え、ぁいや、その……」
豪傑な彼女にしては煮え切らない態度に内心首を傾げながら、ネロに対する時のように静かに返事を待つ。
「こ、紅茶のお替わり! 貰ってもいいかしら!?」
意気込んだ様子で告げられたのは随分と可愛らしい内容だった。
本当はもっと違うことが言いたかったのだろう。
素直になれない友人を優しい目で見ながら、彼女は頷いた。
「もちろんだ、取って置きのを淹れてやろう」
ついでにこの間レディが美味しそうに食べていたクッキーを一緒に添えて。
市松模様のそれは当然彼女の手作りだ。
美味しそうに食べる友人には腕の振るいがいがあるもというのだ。
歯を立てるとさくりと砕け口の中でほろりと溶けるそれにレディは感嘆の息を吐く。
幼い頃に両親を失い現在は一児の母で生活破綻者な弟を持つ彼女は、それ故にか家事の腕が素晴らしい。
正直あのダンテにやるくらいなら、レディが嫁にもらいたいくらいである。
レディは家事ができない。
いや、正しく言うなれば一人暮らしもそこそこになるので少しはできるのだが、手の届かないところが多い。
掃除や洗濯は一応こなすものの、料理に関しては壊滅的としか言いようがない。
「いや、うん、何というか、……個性的だな」とはレディの作った菓子を食べた彼女の感想だった。
個性的という言葉が褒め言葉でないことをレディは青ざめた彼女の顔から痛感した。
だからレディは彼女に料理を習おうと思ったのだ。
そう、そこまではいい。
だがレディは中々それを友人に言い出せなかった。
彼女が親切なのは知っている、レディが頼めば懇切丁寧に料理を教えてくれるだろう。
危惧しているのはそこではない。
レディが恐れているのは、彼女が教えてくれたのに、一切上手くならなかったらのことだ。
「はい」
「ありがとう……」
テーブルの上に出された紅茶は爽やかに香り立っている。
同じ茶葉と器具を使っても、レディではこうはいかない。
母親が亡くなる前に教わっておけばよかったと今更ながらに後悔するが、先に立つわけがないのだから仕方ない。
いつまでも悩んでいても、何も変わらない。
温かい紅茶を思い切り煽って、舌先に感じる痛みに涙を堪える。
勢いのまま、驚いている彼女に切り出した。
「あのね、よかったら……」
返事は優しく笑うその顔だけで十分だった。



4.無意識にこの手は、


衣服越しに臀部を這う感触に、彼女は鳥肌と同時にこめかみに青筋を立てた。
上から下へ撫でるかと思えば、引き締まっているがボリュームのある肉をわし掴み揉みしだく。
これが食器を洗っている途中でなければ殴る所だが、如何せん泡だらけの皿を放置しておくことはできない。
尾てい骨の上をくるくると弄っていたそれは、さらに調子に乗ったのか尻肉の谷間をなぞりその奥にまで食指を伸ばそうとし、
「ぃって!」
痛烈な痛みにダンテは撫でまわしていた姉の尻から手を離した。
ダンテの履くゴツいブーツの爪先に鋭いヒールが深々と刺さっていた。
足を狙って踏んだ本人は食器を淡々と洗い片づけていく。
小指の爪というピンポイントな部分に細いヒールで体重を乗せられたダンテは暫し痛みに悶絶した。
スピードと体重の乗った一撃は、箪笥や壁の角にぶつけるよりも酷い衝撃をダンテにもたらしていた。
踏まれたまま思い出したようにうりうりと捻りを入れられる。
当然、これまたかなり痛い。
「いてぇよ! 何すんだ姉貴!!」
「セクハラの報復だが?」
バローダは洗い終えた食器を籠に入れると、漸く喚くダンテと向き合った。
人の尻を散々触っておいて喚き散らすとは何と自分勝手な。
「もうお前死ね」
「ひでぇ! 実の弟に言うことかよ!?」
「セクハラは実の姉にすることじゃないだろ」
相手がダンテじゃなければ有無を言わさず閻魔刀で触った腕を体と強制的にさよならさせているところだ。
セクハラ、駄目、絶対。
「いーじゃねーか、恋人同士のスキンシップだって」
「夫婦間でも強姦罪は適応されるって、お前知ってるか?」
夫婦でも適応なのだから恋人ならなおさらである。
恋人というところを否定しないのは彼女なりの小さな優しさである。
「手が勝手にやったんですぅー」
「……ほぉう」
ぶすくれたダンテにちゃきりと、刀の鍔が鳴る。
エプロンで拭った掌には彼女の愛刀が握られていた。
「では、そんな悪い手は斬り落してしまおう」
底抜けに明るい声だった。
彼女は微笑んでいる、穏やかに、鮮やかに。
少しでも反省の意を示せば彼女も許しただろうに。
ダンテは姉の背に鎧を纏った悪魔の幻影を見た。
未来の息子から少々スタンドを借りてきたらしい。
青い幻影は魔力の剣を纏いダンテを見据え、手を振り上げる。
そこから彼の記憶は途切れ、次に気付いた時には着ていた服はずたぼろ、台所の床に血の海を作りながら倒れ伏していた。



5.きっと明日も、


幻影剣の山に罵声、時々拳とプロレス技。
それがダンテに与えられる愛しい姉からの愛情表現である。
誰が、たとえ彼女自身が否定しようとも、ダンテにとっては愛情表現なのである。
「こ、の、愚弟がッ!!」
正面からのラリアット、そのまま腕をダンテの首にかけ体を持ち上げてアルゼンチンバックブリーカーへと流れるように移行する。
細身の女性が上背も筋肉量も上の男性を軽々と持ち上げている姿は中々にシュールだ。
「お前は、何度言ったら、わか、るん、だッ!」
言葉の合間合間で首にかけた体を下へと揺さぶる。
肺を圧迫されダンテは痛さを訴える言葉すら出ない。
ダンテの体をぽいっと軽く床に放ると、彼女は座ってさらに倒れているダンテの右足首を脇に抱え己の足を絡めることで膝を固定する。
そのまま後ろに反れば教科書通りの綺麗なアキレス腱固めの完成だ。
「いででででででででっ!」
「少しは学習しろ、この馬鹿!」
自分の言葉通り、斬っても刺しても駄目だと学習した彼女は最近は関節技に凝っているようだ。
この学習力が弟にもあればいいのに、現実はいつだって無残だ。
こんなスキンシップをいつも見ているから、ダンテは周りからドM疑惑すら浮かんでいる。
同時に姉の方にはドS疑惑が。
躾けているだけのつもりの彼女としてはとても不本意である。
「はぁ……」
ダンテの悲鳴をバックに憂い顔で彼女は謝罪の言葉が出るまでアキレス腱固めを続けた。
解放されたダンテは首筋や足首をぐりぐりと回して無事を確かめる。
筋は切れていないし骨も折れていない。
もっとも、切れようと折れようとすぐに元に戻るので何の問題もないのだが。
「悪かったって」
不機嫌だと書いてありそうな空気をまき散らす姉にダンテは大人しく頭を下げる。
彼女の前に並ぶのはケーキのスポンジになるはずだったものである。
ふっくらと膨らみ間にフルーツを挟まれクリームを塗られ飾られる運命だったものは、今やぺったんこのぼそぼそだ。
原因はご存じダンテである。
ケーキの材料だけ用意して彼女がトイレに行った間に、この男、こっそりと塩と砂糖を取り替えたのだ。
彼女が気付いた時にはもう遅く、スポンジは到底食べられたものではないし、クリームは塩辛いものになってしまった。
「もうこれ、お前が喰え」
ボールに入ったままのクリーム(塩味)と膨らまなかったスポンジを差し出す。
一応彼女も塩だと知ってから挽回を図るために味を見たが、当然食べられたものではない。
完食したら高血圧で倒れる以前に致死量だ。
だが彼女は食材を無駄にすることを嫌う、ダンテの今日の夕食は間違いなくこれだろう。
ダンテは泣く泣く目の前のケーキの成りそこないにフォークを刺した。
不味い、噛むたびに脂汗が沸き上がるほど不味い、が食べきらないと何をされるかわかったものではない。
それでもこっそり用意された甘いカフェオレに、自分に甘い姉を感じる。
だからこそ、さて次は何をしようかと考えてしまうのだ。