特別な一週間(age様より)
カレンダー広げて
「ああ、もうそんな時期か……」
朝食の準備の最中、ふとカレンダーに目をやりながら、懐かしむように彼女は呟く。
カレンダーに印などはない。
だが、彼女がその日を忘れたことはなかった。
毎年毎年欠かさずに行われる行事。
彼女の自己満足と言ってしまえば簡単だが、そこには複雑な想いが込められている。
朝食の目玉焼きに塩コショウを振りながら、彼女はぼんやりと考える。
さて、あの弟は果たして覚えているだろうか。
答えがわかりきっている問いに、彼女は悲しげに微笑んだ。
思い出さない方が幸せなこともある。
小さな秘密
花は白い物がいい。
今年はカサブランカにしようと、彼女は濡れた手をエプロンで拭い受話器に手を伸ばす。
「おはよー」
寝起きの掠れた声と共にダンテが二階から降りてくる。
彼女は電話を諦めて、エプロンを脱いだ。
「おはよう、今朝は早いな」
今が九時とはいえど、昼夜逆転生活が常のダンテにしては珍しく早い起床だ。
今日に限って言えばもっと遅く起きてくれても構わなかったのにと、姉が小さく舌打ちしたことに生憎弟は気付かない。
眠そうに目を擦るダンテにシャワーを促して、彼女はため息をつく。
今の内に花屋に電話しておくことにしようかと、もう一度受話器に手を伸ばした。
上等なシャンパン
この体になって以来、彼女はあまり酒を嗜まない。
正しく言うなれば、アルコールに滅法弱い体なので、飲んでも楽しめないので飲まないのだ。
そんな彼女が買い物かご片手に、珍しく酒瓶の並ぶ場所にいた。
ダンテが飲むジンではなく、女性が好みそうなワインやシャンパン等を吟味する。
飲めない物には興味がないと、彼女は酒に関しての知識が薄い。
高い物であれば美味いかというと、そうでもないのが難しいところだ。
結局、店員の手を借りながら彼女は一本のシャンパンを購入した。
中々に値が張ったが、それなりに良い物を買えたのだと思う。
だがそのシャンパンを彼女が飲むことはない。
ピンク色の液体を湛えた透明な瓶が、光を受けて煌めいた。
似合わないのは分かっているけど
ワンピースを買った。
女性らしい服装はあまり持たないが、この時期には必ず一着買うことにしていた。
幼い頃はそれこそ女の子らしい服しかなかったが、今では割合が逆転している。
仕事着、スラックスにシャツにジャケット、クローゼットの中にあるのは機能性を重視した武骨な物ばかりだ。
生きるためには仕方なかったと、今なら笑って言える。
一度は短く切った髪も、大分長くなった。
買ったばかりの服に袖を通し、クローゼットの内扉についている鏡の前に立つ。
いつもは上げている前髪も、今日は前に下ろした。
血塗れの自分には似合う筈もない。
鏡の中にかつての面影を認めながらも、幾人もの命を奪った手で彼女はクローゼットを閉めた。
気付いてないよね?
花の領収書は自室のゴミ箱に、ワンピースはクローゼットの奥に。
シャンパンは飲まれては困るので、台所の鍋を入れる棚の陰に隠しておいた。
本人が覚えていれば話は別だが、一つ一つを繋げて答えを出すのは容易ではないだろう。
そもそもピース自体が見つからなければパズルは完成しない。
カレンダーには印もなく、交わす会話には何の異変もない。
だが彼女は確かにダンテの態度から違和感を覚えていた。
時折こちらを見る瞳に宿るあの光は何だったか。
彼女が覚えている限りでは、それは悲哀に最も近しい色をしていた。
まさかと思いつつも疑念は拭えない。
彼女は強く唇を噛み締める。
明日の約束
「明日はなんか予定でもあるのか?」
夕飯の支度中に、背後から言葉に彼女は首を傾げる。
明日は仕事の予定は何も入れていない。
ただし、外せない用事が一つだけあった。
花束もワンピースもシャンパンも、その為だけの用意したものだ。
「午前中に少し出かけてくるが、昼過ぎには帰る」
少し遠いが、そう時間がかかる用事でもない。
そう告げるとダンテは、やはりいつもとは違う笑みを浮かべた。
「そっか、わかった」
その言葉が少し震えていたのは、果たして気のせいだったのだろうか。
おめでとう
「誕生日、おめでとう」
今日は二人がこの世界に産み落とされた日。
そして同時に、母と平穏な家庭を失った日でもあった。
差し出された花束に彼女は覚えていたのかと驚き、寂しそうに笑う。
花を片手に持つダンテもこの日ばかりは皮肉気な笑みを潜めさせ、代わりに姉とよく似た顔で笑った。
「お前も、」
彼女は差し出された花束を受け取り、両腕で抱き締める。
「誕生日おめでとう」
二歩ほどあった互いの距離を縮めたのは彼女の方で。
祝福の口付けは花束の中に埋もれた。
「今度から、墓参りには俺も連れてけよ」
ダンテの言葉に、彼女は小さく頷いた。
白い墓石の前に供えられた季節外れの雪のように純白の花束。
グラスを交わすこともなく亡くなった母へ、餞にと贈られたピンクのシャンパンに結ばれた華やかなリボンの飾りが風に揺れる。
二人の子らの、背を押す様に。
BL帯で遊んでみた
…そう…。そのまま飲みこんで。僕のエクスカリバー…
膝がふるふると震えていた。
許しを乞うような瞳は無慈悲な一瞥に切り捨てられる。
「で?」
「いや、本当にすみませんデシタ……」
俺が悪かったですと、仁王立ちする姉の前でダンテは床に頭を擦りつける勢いで日本式ドゲザを披露した。
彼女の背中には未だ泣き止まない赤ん坊が感情の限りをけたたましく叫んでいる。
時折泣く子をあやしながら、姉は不祥の弟の後頭部を冷たく睥睨する。
「人が少しばかり席を外している内にネロを泣かせて、言い残すことはそれだけか?」
言い訳させてもらうならば、ダンテはただ幼い息子とコミュニケーションを取ろうとしただけなのだ。
その結果、たかいたかいでうっかり手を滑らせてネロと床が衝撃的な出会いをしたり、子守歌代わりのハードロックで全然寝付いてくれなかっただけで。
恐らくこんなお粗末な言い訳をした時点でダンテの体は二つに分離させられるだろう。
縦か横かはその時の彼女の気分次第である。
ライトの元で白刃がぬらりと妖しげに輝く。
数え切れぬ程の悪魔を屠ったその刀は、更なる血を求めている。
「ダンテ、あーん」
響く声は優しく、慈悲深さすら感じられる。
だがその手に握られているのは紛うことなき剥き出しの真剣で、鋭い刃先はダンテの鼻先に向けられている。
これほど嬉しくない「あーん」がかつて存在しただろうか。
声に従い口を開けたら最期、飲まされるのはこの刀だろう。
そんなマジックがあったなぁと、ダンテは横に目を逸らしながら思い出す。
マジックと違うのは正真正銘、タネも仕掛けもないことだ。
「大丈夫だ。死にはしない」
ええそりゃ死にはしないでしょうよと言えたらどれだけ楽だっただろうか。
アイスブルーの瞳は笑みの形に歪みながらも凍りついたままだった。
おふざけや反論を一切許さない、本気の目だ。
「そう……そのまま飲み込むがいい。私の閻魔刀……」
泣きながら口を開いたダンテに降り注いだのは無慈悲な言葉と冷たい刃だった。
さ…触ってほしいニャー
最近恋人である姉がつれないのをダンテは物悲しく思っていた。
その原因のほとんどを占めるのが仕事と育児の忙しさなので何とも言えない。
ダンテといえば、面倒な仕事や後始末は姉に任せっきり、育児なにそれおいしいの?状態、流石に女遊びはなくなったものの大して生活に変わりはない。
変化の大部分を女手一つでどうにかしている彼女がすごいのか、手伝おうとすると却って悪化させるダンテがいけないのか。
時折酒場で愚痴るレディは呆れて話を聞いてくれない。
いかな女傑とて、友人の夜の頻度なんて知りたくもなかっただろうに。
呆れられて当然だ、人はこれを自業自得という。
「どーすれば構ってくれっかなー」
なーケルー?と自分の魔具である悪魔に寝転がりながら相談するが、今は中型犬程度の大きさの地獄の門番の名を冠する三頭犬の悪魔はふわぁと欠伸で返した。
まともに起きているのは真ん中の頭だけで両脇の頭はぐっすり午睡モードに入っている。
ダンテの話を聞く気などさらさらないのが態度に出ている。
主人としての威厳は皆無である。
ダンテは気にした様子もなくソファにだらしなく寝そべる。
何も言わないでいると、とたとたと家事をしている姉の足音が忙しなく聞こえる。
近寄ってくると思えば、洗濯機の電子音に翻り洗面所へと向かい、その足で階段を上っていく。
ああ、姉分が足りない。
主に性的な意味で。
寸刻みで斬られるのはわかっているので、口に出すという愚行は起こさない。
命は大切に。
床で完全睡眠モードに移行したケルベロスを拾い上げ、腹の上に乗せる。
真ん中の頭がちらりと目を開けたが、やがて相手にするのも面倒だといわんばかりに瞼を閉じた。
「触ってほしいにゃー」
なー?と首を傾げながらケルベロスの手を掴んで遊ぶ。
うっとしそうにケルベロスはわぅと一声吠えた。
ごめん! ヤらせて!
「そうだな、選ぶがいい」
黒い鞘から白刃が涼やかな音と共に引きずり出される。
「棺桶かゴミ箱か……自分の行き先をな!」
姉さんそれ俺の台詞ですしかも結構未来の。
思いながらもダンテは言葉にすることはできない。
そもそもはダンテの一言から始まったのだ。
ありたいていに言えば、ダンテは溜まっていた。
若さゆえの欲求不満に身を任せ、ソファに座って読書中の姉に飛びかかり、笑顔で一言。
「ごめん! ヤらせて!」
目を見開いた彼女が正気に戻った時には、何故か両手足にベオウルフを装備して返り血を浴びていた。
足元にはフルボッコにされた弟が頭から血を流しながら倒れている。
もはや反射的な行為だったらしい。
命が惜しければダンテはそろそろ学習した方がいい。
その後投げかけられた言葉を漸く理解した姉により、現世と離別させられそうになっている。
このままでは頭と体も離別するだろう。
ボコられ脅され、まさしく踏んだり蹴ったりである。
結局は自業自得ということで丸く収まるのが悲しい所だ。
「まったく……」
彼女は閻魔刀を鞘に納める。
まだ幻影剣も次元斬も疾走居合も出ていないのに珍しい。
その基準はおかしいだろうとこのシスコン馬鹿に教えてくれる人は誰もいない。
もう治ってはいるが、先ほどベオウルフで存分に暴行を加えたのが効いているのだろう。
斬る気は完全にないらしい。
「……夜だったら考えてやらんでもない」
ここでまさかのデレがきた。
自分で言って恥ずかしくなったのか、そっぽを向いた白磁の顔が薄っすらと赤味を帯びている。
ここで耐えられたらダンテはもう少し学習していただろう。
座った状態から姉に飛びかかりもう一度押し倒したと思った瞬間、側頭部を殴打された感覚と共に彼の意識は途絶えた。