私を海に連れて行って

若の場合


青い空、白い雲、透き通った水が寄せる波間に泡立つ。
海に来たのはいつぶりだろうか。
ましてや仕事の一切関わらない行楽目的など、思い出すのも難しい。
銃や剣はいつでも持ち歩いているが、仕事でないというだけでモチベーションが違う。
デビルハントが楽しくない訳ではない。
むしろ趣味と実益を兼ね備えているが、それ以外の仕事もしなくてはならないし、いつも血塗れというのは精神が削られる。
たまには一般人の様な平穏な休日を過ごしたいのだ。
着替えてくるから荷物を預かっているよう頼まれ、ダンテは大人しく砂の上にシートを引きパラソルを立て、荷物番をしていた。
傍らには姉お気に入りのケルベロスとベオウルフがぺたりとうつ伏せに寝そべっている。
特にケルベロスは夏に重宝する悪魔だ。
触れてみると毛皮なのにひんやりとしているので、蒸し暑い夜は抱き枕として活用されている。
上級悪魔でもお構いなどない。
「姉貴おせーなぁ……」
着替えの時間は男女差があるが、それに増しても遅い。
ダンテはほうっと息を吐いた。
水着。
そう、水着姿なのである。
あの露出度の極端に少ない姉が、ほぼ下着同然の水着。
夏でも絶対防御を誇るあの姉が!
ダンテとしては下着姿もそれ以上も何度も見ているが、やはり明るい場所で見るとなるとまた違う趣がある。
なんせ此処は海だ、シチュエーションが違うだけでテンションは右肩上がりになる。
ダンテは妄想に胸を膨らませる。
彼女がどんな水着を着るか、ダンテは知らない。
レディと買いに行った成果はダンテが見る前に早々と仕舞われてしまった。
シンプルなワンピースタイプではないだろう。
そんな無難な物を許すレディではない。
あまり過激なデザインは姉の性格上望めないが、日頃日に晒されない部分が目にできるだけ有難い。
はやる気持ちを抑えきれず、自然と唇が笑みの形に歪む。
中身は残念なのに顔だけは美形なので、そんなダンテに声をかけようとする女性も多い。
ぴくりと、ベオウルフが伏せていた頭を上げて座っているダンテの向こう側へと顔を向けた。
つられてダンテもそちらを向く。
足の先をてててっとベオウルフが通って行った。
「なん、だと……」
水着。
そう、それは確かに水着に分類されるものかもしれない。
それはダンテの予想を軽々と越えていた。
足にベオウルフを纏わりつかせ、彼女が向かってくる。
すらりと伸びた肉付きの良い白い脚は、膝から上がぴたりと覆われている。
肉感的に突き出した尻、きゅっと細まった腰、そのまま柔らかい曲線を描く双丘までもが固い布地の下だ。
レンタルらしきサーフボードを片手に半袖膝丈のウェットスーツを着た彼女には、やはりどこまでも隙などなかった。
「騙された……詐欺だ!」
「何を唐突にアホな事をぬかしているんだ、愚弟が」
膝をついて悔しがる弟の頭を、彼女はサーフボードで殴った。
「では私はベオとサーフィンしてくる」
お前も精々楽しめと言って、打ちひしがれるダンテを置いて姉は去って行った。



初代の場合


以前海に遊びに来た時には姉と二人きりだったが、今回は違う。
小さな息子とトリッシュも加えた四人でやって来た。
今日は以前のような失態は侵すまいと、ネロにパーカーを着せながらトリッシュと姉が現れるであろう方向を鋭く睨む。
小さな息子を置いて一人サーフィンに興じるような真似を彼女はすまい。
故に普通の水着を着てくることが予想される。
そして今回共に水着を買いに行ったのはレディとトリッシュだ。
レディは兎も角、トリッシュは日頃の服を見ればわかる通り、過激な衣装を好む。
水着に関しても大人しいデザインの物を選ぶことはないだろう。
それが彼女にどう作用するか。
ダンテにとってはそれが勝負の分かれ目だ。
「母さん、まだかなー」
「すぐ来るさ」
ぴょんぴょんと落ち着かなく跳ねまわる銀の頭を撫でる。
その横でケルベロスが大きな欠伸を一つ。
熱中症にならないようにとその冷たい体をネロに体を擦りつけている。
小さな手が黒い獣の体に巻き付いた。
「ケルは冷たくてきもちいー」
息子にべったりとくっつかれているケルベロスを労わるようにダンテが撫でると、獣の姿をした悪魔はちらりと目だけで主を見た。
砂浜を軽やかな足音がゆったりと歩む。
周りの男どもが息を飲み目を丸くする中、ダンテはガッツポーズをした。
浮き輪を持った美女が二人、ダンテの前に立つ。
「夏の海って人が多いのね、驚いたわ」
此処に来るまでにナンパでもされたのだろう、うっとおしそうに長い金の髪を手で払い退けながらトリッシュがうんざりと顔を顰める。
面積の少ない黒の布地は豊満な胸部の谷間でO型の金具に繋がれ、臍下ギリギリまでを惜しげなく晒している。
胸を覆う布は臍の両脇を通ってローライズのボトムに繋がるようになっている。
一応ワンピースだというのにビキニよりも卑猥な水着だが、トリッシュの美貌と堂々たる態度が色香よりも強く美しさを押し出している。
「待たせたな」
対して姉は青いホルターネックで、カップの端にワンポイントでライトストーンの蝶が飛んでいる。
白地に青い花の描かれたパレオが腰で結ばれ、動く度にひらひらと合わせ目から覗く白い脚が艶めかしい。
銀の髪は上の方で一つに括られ、ハイビスカスの飾りに彩られている。
いつもは隠されているうなじが露わになっている。
齧りつきたい衝動を抑えようと、ダンテは舌で唇を湿らした。
「似合ってるぜ二人とも」
トリッシュは当然だと言いたげに昂然と腰に手をやり、姉は常にない露出に何処となく気恥ずかしげに目を逸らした。
ネロは現れた二人を見ながら立ち上がり、ぺたりと母親にひっつく。
「どうした、ネロ?」
人見知りするような性格ではないしトリッシュとは顔馴染みだというのに珍しい。
頬に触れる母の手に促され、ネロは渋々口を開く。
「母さんはきれいだけど、トリッシュは、なんか、エロい……」
そう言うと恥ずかしそうにそっぽを向いて母の脚の影に隠れる。
大人三人は顔を合わせて、小さな男の子の感想に笑みを零す。
「ダンテの子どもだってのに、随分と可愛らしいわね」
「私が育てたからな」
「俺だって姉貴に育てられたようなもんだぜ?」
顔を赤くしてぎゅっとしがみ付くネロを見下ろして彼女は笑う。
「目の前に悪い見本がいるからな、ネロはそうならないように頑張っているんだよ」
その首筋に今すぐ噛みついてやろうかと、あまりの言われように悪い見本ことダンテは顔を引き攣らせた。



Blood of Devilの場合


何故そんな話になったのだったか。
源泉と二人、静かに中立地帯である『MEAL of DUTY』で会話を交わしていた。
内容といえば大したものではなく、雑談に近い。
そろそろ暑くなってきたから死体が腐敗するのは困るという話をしていた。
処刑人が回収してはいるが、30℃以上ともなると腐敗も早い。
夜になってもあまり気温が下がらないとなると、翌朝には死体もぐずぐずのどろどろだろう。
腐乱死体でも出ればそこから病原菌が発生し、蔓延する。
ラインで儲けたいヴィスキオからしても、伝染病の類は困るだろう。
処刑人が一日中街を徘徊しているのは、衛生上仕方のないことなのだ。
その死体をヴィスキオはどう処理しているのか。
一日に出る死体の数だけでも、相当な筈だ。
「此処は海が近いんじゃなかったか?」
指先でノンアルコールカクテルのグラスを弾きながら、彼女は唐突に呟く。
「ん? まあ、そう離れてはいないな」
「一番手っ取り早いのが海に死体を捨てることだが、それは日興連とCFCに規制される可能性があるか」
「だろうなぁ」
源泉は咥えていた煙草を口から離すと紫煙を吐き出した。
衛生的にも住民の精神的にも問題がある。
「食料面から言っても、海への死体遺棄は遠慮したいしな」
「あん?」
訝しげな視線に促されて彼女は苦く笑って見せた。
「頻繁に死体が捨てられる場所から獲れた魚介類、さてそいつらは何を食べているでしょう」
意味が理解できたのだろう、源泉は嫌そうに顔を顰める。
合わせるように彼女も肩をすくめて見せた。
「まあでも私は可能性が残っている限り、近くの海に行く気にはならないな」
さらに言うならば死体の半数以上がライン中毒者だ。
その死体を海に捨てるということは、間接的にラインを海にばら撒いているようなものだ。
その地帯の魚介類がどのような進化を遂げていてもおかしくはない。
特に鮫などが凶暴化していれば、一般人には手の負えないレベルになるだろう。
これらは推測であり、ヴィスキオが管理された環境下で死体処理を行っているならば問題はない。
だが、ヴィスキオを仕切っているのはあのアルビトロだ。
「アルビトロは、こう、抜けてる所があるからな……」
元々は科学者なので管理に抜かりはないと思いたいが、如何せん、本人の性格上信用が鳴らない。
「お前さん、意外とあいつと仲がいいよな」
女なのにと含まれた言葉を彼女は鼻の先で笑う。
「アレはな、源泉。親しくしている訳ではなく、私に怯えて丁重に扱わざるを得なくなった結果だよ」
くつくつとさも可笑しそうに笑む彼女だが、瞳は表情を裏切っている。
値踏みするような氷の色。
源泉が彼女とアルビトロとの繋がりを疑っているのを見透かしている。
突如現れたこの美しき異邦人が彼の王ではないかと勘繰る者も多い。
それを彼女は理解しているのだろう。
「……お前さんを敵に回したくはねーなぁ」
処刑人を二人相手にして揚々と退けられるほど腕っ節が強く、頭も悪くない。
「なに、余計な殺しをするつもりはないから大丈夫さ」
殺されないからとはいえ無事でも済まないだろうと嫌な未来予想図を描きながら、源泉は苦い煙を吐き出した。



Dance with Devilsの場合


「暑いな……」
「ああ、暑いな……」
灼熱のマグマにも耐えうる二人であったが、質の違う暑さに辟易としていた。
肌に一枚ビニールを被せているような湿度が、からりとした暑さに慣れた二人を苛む。
体質上、熱中症には成りえないからといって冷房器具を購入しなかったことが災いした。
こうじめじめしているとうっとおしい。
そのじめじめが温度を持っていれば尚更だ。
熟練のデビルハンター二人は、日本の夏にノックアウト寸前だった。
ぱたぱたとうちわで顔を煽ぐが、効果のほどはたかが知れている。
ダンテは生温い空気を掻き交ぜるだけのプラスチックと紙でできた薄っぺらいものを放り投げた。
咎めるでもなく横目で見ていた姉がすっくと立ち上がる。
「どうした?」
「アイスでも買ってくる」
コンビニへ向かうのだろう。
24時間営業の店が何処にでもあるという日本は、なんと平和で勤労が好きな国なのか。
働くことが嫌いなダンテからすれば日本人は理解しがたい人種だ。
道中の暑さとコンビニの涼しさを秤にかけ、ダンテは座ったまま姉に手を振った。
うっとおしい暑さの中、人混みに入りたくはない。
「バニラかストロベリー」
「わかっている」
そう言って彼女が出て行ったのが10分前、帰ってきた姉はアイスの入った袋の反対側に二枚の紙を持っていた。
押し付けられた袋から来る冷気を堪能しながら、ダンテは姉の持つ紙に目をやる。
「何だそれは」
「プールの優待券だそうだ」
差し出された一枚を手に取り目を通す。
レジャー施設の入場券となっているようだ。
期限を見ると本日付になっている。
「ここでだらだらしていても仕方あるまい」
「……行くか」
決まってからの行動は迅速だった。
現地に向かいながら水着を購入、ダンテが姉の水着に一々注文を付けていたのはいつものことである。
そのまま全速力でプールへと走った。
その日偶然空を見上げている人がいれば、空飛ぶ赤と青のUMA、もしくは高速移動するUFOとしてまた一つ池袋の都市伝説が生まれていたかもしれない。
「やあやあ、随分と早かったね!」
涼を求め辿り着いた先で待っていたのは見た目にも暑苦しい黒づくめの男だった。
双子は合図もなくその両脇を歩いて通って行こうとする。
プールは目の前だ、こんなモノに構っている余裕はない。
「ちょっと待ってよ! いくらなんでも無言でスルーはないでしょ!!」
一言二言あるだろうと思っていた臨也としてはまさかここまで華麗に無視されるとは思っていなかった。
外国人に対する日本の夏の過酷さを舐めた結果である。
腕を掴まれた彼女が絶対零度の視線で臨也を精神的にも肉体的にも見下す。
元々彼女と臨也の身長は同じなので、高いヒールを好んで履く彼女の方が自然と目線も高くなる。
「五月蠅い、黙れ、消えろ」
何故ここにいるかなんて考えれば想像がつく、チケットを渡したのはこの真っ黒くろすけの意図だったということだろう。
だから一度だけ警告はした、ただし後ろでダンテが双銃を取り出そうとしていることは告げないで。
あとは本人次第だと、悪魔は悪魔らしくにぃっと笑んだ。



夢幻の剣製の場合


わくわくざぶーんで士郎を囲みはしゃぐ女性陣を眺めながら、彼女はうんうんと頷いた。
「モテモテだな、ウチの義弟は」
特盛から小盛までより取り見取りの選びたい放題。
公共の場であるからこそ、そのハーレム状態が目立つ。
未来の義妹候補たちを眺める氷色の眼差しは、しかし生温い憐れみに満ちている。
実際そのハーレム状態がそう心地よいものではないことを知っているからだろう。
何せハーレムを構成する女性陣は、力を持った魔術師たちと一騎当千のサーヴァントたちだ。
能力に応じるのか個性も強い。
「そう思わないか、アーチャー」
ついと後ろから現れた男に驚くこともなく声を掛ける。
鷹の目を持つ男は中心にいる少年を睥睨し、はんっと鼻で笑った。
「あれはモテているのではなく、遊ばれているのだろう」
「だが未来の義妹は確実にあの中にいると思うぞ」
「……」
否定はできない、あの衛宮士郎が他の女性と結婚できるとは思えないからだ。
かつて衛宮士郎だったアーチャーは生涯独身だったが、やはり結婚するとすればあの中から選んでいただろう。
「私は、士郎が幸せなら相手は誰でもいいが、」
「が?」
意味ありげに途切れた言葉に、銀の髪を見下ろす。
時間は過ぎて、成長を遂げ、彼女の身長を越したのはいつ頃だったろうか。
それでも守られていた、自分よりも小さな体に。
誰よりも守りたい人だったはずなのに、最後の最期まで彼女は衛宮士郎を守ったのだ。
そんな義姉は今漸く、アーチャーを対等と見なして笑う。
「泣かせることになるのだろうな、きっと」
生涯の伴侶を得ても、衛宮士郎の歪みは変わらないだろう。
強い女性たちだからきっと変えてくれると願っているが、その過程で何度相手を泣かせることになるのか。
「女たらしで女泣かせとは、甲斐性があるんだかないんだか」
わざとおどけた口調で言ってのける義姉に乗っかるように、アーチャーもわざとらしく尋ねる。
「おや、君は泣いてやらないのか」
生涯を共にする気はないのかと。
ふむと、腕を組んで女性に囲まれる士郎を見遣る瞳に、熱情の色は見えない。
慈しむようなそれを愛と呼べるならば、きっとかつての彼らも苦しまずに済んだだろう。
「泣くのは隣に立つ者の特権だ。私は後ろからあれを蹴る為にいる」
「そうか、ならば……」
その隣に私が立つことを許してくれるかね。
そう尋ねようとしたアーチャーの顔面をビニール製のボールが強襲した。
流石に当たることはなかったが、場の空気は見事に破壊されてしまっていた。
褐色の掌に止められたボールは、魔力で強化されビニールらしからぬ強度を保っている。
生前告げられなかった告白を遮られ、また犯人と思しき相手がかつて憎んでいた人物とくれば、アーチャーの堪忍袋が破裂するのも早かった。
「いい度胸だ、小僧……波間に揺られて溺死しろ!」
しゅたたっとボールを持ったままの姿が、変わらず女性に囲まれた士郎へと向かい、ついで凛に殴られた。
桜の背から漂う黒いクラゲの様な物を見なかったことにすべきか。
このままだと義弟の成れの果てがもぐもぐごっくんきゅっぷいとされてしまいそうな気がひしひしとする。
彼女は少しだけ考え、騒がしい集団へと足を進めた。