彼と彼女のファンタジーな展開7題 (確かに恋だった様より)

1.彼が猫になっちゃった!


「……今度は完全にか」
彼女は弟が寝ているはずだったベッドのシーツに潜り込んで丸まる毛玉を摘み上げる。
ぷらぷらと揺れる手足が心もとないのか、ぱちりと空色の瞳が開いて抗議の視線を向けた。
原因だとか理由だとかを考えるのは無駄だ。
半人半魔の時点で今更である。
猫耳と尻尾が生えたり中身が入れ替わったり、その他諸々ありすぎた。
つまり彼女はこういう不測の事態に慣れ切ってしまっていたのである。
当のダンテでさえ、現状を把握したと同時に脱力するだけで混乱した様子はない。
「……にゃあ」
「ああ、言葉も駄目なのか」
それは困ったなと言いながらも困ったような表情は欠片もなく、むしろ喜々として小さな体を腕に抱えて撫でくりまわしている。
弟が猫になってしまおうと、別に大した問題はないのだ。
何せ週休七日の男で、酒、博打、酒、酒、酒、博打、酒、酒、悪魔狩り、の頻度でしか働こうとしない。
猫の言葉しか話せない方が、むしろ静かでいいかもしれない。
猫は酒も飲めないし博打もしない。
なんと経済的だろう、夜もゆっくり体を休められるし。
そういえばと、丁度今月は少しばかり生活費が苦しいことに思い当った彼女は、家計を預かる身として、ついでに色欲旺盛な恋人を持った女性として重々しく告げる。
「……ダンテ、お前一月ぐらいそのままでいたらどうだ?」
「みゃーう!」
いつもは耳喧しい抗議の声も今は可愛らしいだけだった。



2.もしかして記憶喪失?


氷色の瞳はただ困ったように二人を見ていた。
「申し訳ありません、ここはどこですか? 私のことを何かご存じありませんか?」
力無く、迷子の少女の様な顔で彼女は己の双子の弟と息子に問う。
嘘や偽りであれば笑って済ませられたろうに、彼女は本気で困っているのだとその瞳が語る。
丁寧な口調で彼女は肉親を追い詰めていく。
「気付いたら記憶がまったく無くって、どうしたらよいのやら……」
「……俺のことも、覚えて、無いのか?」
縋るような声に心情を察したのか、彼女は目を逸らし気まずげに頷く。
少なからず親しいであろう相手の失望を見たくないのだろう。
きゅっと握った手の中に彼女が常に携えていた愛刀はない。
「俺のこともかよ!?」
「……はい」
焦ったような少年は一転、泣きそうな顔をした。
やるせなさと申し訳なさに彼女はますます顔を下に向ける。
じっと彼女を見ていたダンテはくるりと背を向けて剣を取った。
「おい、ダンテ?」
「恐らく昨日倒した悪魔の影響だ。調べてくる」
どんな手段とは、問わない方がいいのだろうとネロは口を閉ざした。
相手が誰であれ、一時でも彼女からダンテの存在を消すだなんて、あまりにも愚かな行いだ。
魔力が怒気に煽られ黒い焔のように赤い背から立ち上がる。
きっとすぐに母は元に戻るだろうと、ネロは確信にもならない事実に少しだけ安堵した。



3.彼女が幼女に若返り?


ぶかぶかの洋服に腰よりも下にある頭部。
「おお、これはしんせんだな」
御歳二十六のスパーダさん家の娘さんは、現在身体年齢七歳へと変化していた。
縮んでしまった体に合わせて従者である閻魔刀も使いやすいようにと短く姿を変えた。
己が姿さえも主に合わせる、まさしく従者の鏡の様な悪魔である。
「えっと、姉貴?」
「おまえのかくし子がほかにいなければな」
そのざっくりとした切れ味の毒舌は紛うことなき姉だとダンテに確信を抱かせる。
「ネロと同じくらいか、可愛いな」
にへらと笑い抱き上げようとするダンテに冷たい視線が突き刺さる。
ついでに姉に伸ばした手にも何かが刺さった。
「……このすがたのわたしにでれでれするとか、ロリコンか?」
ぱりんと手に刺さった小さな魔力の剣が割れるついでに、ダンテの心の何かが割れる音もした。
器物損害やら傷害からの犯罪者扱いならまだしも、性的倒錯者扱いは痛かった。
何があれって、こぼれそうなほど大きな瞳が蔑んだ目つきでダンテを変態と断定しようとしていることだ。
七歳の少女の言葉に本気で傷つく二十六歳男性、かなりシュールな構図である。
まさかそんな訳がない、反応するのはアンタだけだ!
今の状態でそのまま口にすれば、見た目的にダンテは即お縄。
七歳の少女に本気で告白する二十六歳男性、シュール云々を通り越して犯罪だ。
「では七さいじは七さいじらしく、同い年のむすことあそんでくる」
しゅぴっと敬礼し一目散に走り出した彼女の手には、きちんと閻魔刀が握られ、後をベオウルフが短い尾を振りながら追う。
性犯罪者扱いされ置いてけぼりにされた弟は、一人部屋の隅でしくしくといじけるしかなかった。



4.未来の彼がやってきた!


「またお前か」
これで何回目だろう、平行世界だったり未来の可能性であるダンテがこの事務所に訪れるのは。
しかもこの男に関しては偶然ではなく、確実にこの場を狙って来ているのだ。
時間を己の意思で超えるだけの実力が彼にはあった。
「コーヒー」
「はいはい、ミルクたっぷりで砂糖は五杯な」
一月に一度のペースでやって来ては、コーヒーを飲みながらぽつりぽつりと会話し、帰ってゆく。
口数の少ない彼に、他のダンテが来るよりは静かでいいかと、彼女も初めの数回以降は来訪者中では最も年長者のダンテの訪れを受け入れるようになった。
言葉にしないが、カップが来客用の物でなくなったのはこのダンテも気付いているだろう。
自分はブラックを淹れて三人掛けソファの真ん中に座る。
ことん、テーブルの上にはカップが三つ、ブラックを挟んでミルクと砂糖がたっぷりのコーヒーというよりかはカフェオレが置かれる。
「まだ寝ているのか?」
「今はシャワーだ」
少しだけ不機嫌そうな未来の弟は、過去の姉を独り占めしたかったのだろう。
だが同時に過去の自分の独占欲の強さも痛いほど知っているため、それができないこともわかっている。
いや、彼の実力を考えればできないわけではないだろうが、歳を重ねた故の自制心がそれを許さない。
あのダンテが誰に言われるでもなく我慢することを覚えたという事実は、彼女にとって感動以外の何ものでもなかった。
「お前は、」
自然と手が伸びる、もう自分の手を離れて(離して)しまった弟へと。
「いい子だなぁ」
よしよしと頭を撫でる腕の下で、驚愕に見開いた空色の目がゆっくりと笑みの形に眇められた。



5.彼が彼女で、以下略


目が覚めて現状を把握した彼女がまず真っ先にやったことは、ケルベロスで目の前に転がる自分の体を布団ごと簀巻きにすることだった。
次いでぺちぺちと軽く眉を寄せた顔を叩いて起床を促す。
「おい、起きろダンテ」
低い声にも動じない自分がなんだか少し悲しくなる次第である。
何度か叩くが起きないダンテに、面倒だからそのままでいいかと今は彼となってしまった彼女は息を吐いた。
適当に着替えて下に降り、朝食を作り始める。
チーズを挟んだフレンチトーストをバターで焼いていると、軽い足音が階段を降りてくる。
「おはよう、母さん」
「おはようネロ、朝食はもうできるから顔を洗ってきなさい」
まだ寝ぼけた様子で今は父の体である母の背を素通りしたネロは、水道の流れる音が聞こえて数秒後、かつてない激しさで台所に駆け込んだ。
「ダンテ!?」
「体はな」
ふんわりと焼けたフレンチトーストとサラダを皿に盛りながら答える様は淡々としている。
冷蔵庫から牛乳を取り出してグラスに注ぐと、ネロに着席を促す。
「食べないと冷めるぞ」
はっとネロは我に返ると、席に着いてナイフとフォークを手に取る。
正面の母の席に座ったのはどう見てもダンテだが、雰囲気があまりにも違う。
「母さん、なの?」
「中身がダンテと入れ替わったようだ。以前も一度あったがすぐに戻ったし、心配はない」
「そっか」
納得したようでネロは素直に朝食を口に運んだ。



6.キスで目覚めるらしい?


魔界植物にも随分と乙女チックな奴がいたらしい。
「寄生植物の一種ね」
大した害はないと、トリッシュはすやすやと眠る彼女にそう診断を下した。
ほっと息をついたのは見守っていたダンテとネロだ。
特にネロは心底安堵した様子で、床に膝から崩れ落ちたほどだ。
何せ今童話の姫の如く瞳を閉ざし眠る母は、ネロを庇って悪魔の攻撃を受けたのだ。
項垂れるネロの頭を大きな手が一度叩いて離れた。
ダンテなりに励ましているのだろう、ネロは叩かれた頭に手を当てる。
「で、どうすりゃ起きるんだ? 害はないんだろ?」
トリッシュは頷き彼女の身に巣食う植物の特性を語り始めた。
「この植物は宿主の魔力を糧に花開くものよ。あるだけ魔力を汲み上げるわ。ただ、宿主以外の魔力があると吸収できずに枯れてしまうの」
「つまり?」
「彼女の体に魔力を吹きこめばいいのよ。それこそ、童話みたいにキスでね」
なるほどとダンテが言うが早いか、姉の顔に屈み込む。
息はしているし、時折瞼が震えて長い睫毛がつられて揺れる。
自然か強制的かの違いはあれども、基本的にはただ眠っているのと大差ないようだ。
「母さんに触るなクソ親父!」
親のキスシーンに耐えきれず、段々と寄りそう唇をネロはバスターで止めた。
「おいネロ、これはあくまで姉貴を助けるためのだな……」
「あら、じゃあ私がいただくわ」
争う親子の前で、金髪の美女が穏やかに眠る姫君に口付けた。



7.彼は今日から女の子?


ぷしゅーっとタイヤから空気の抜けるような音がして、レディとネロと三人で倒れ込んだ。
「おいこらお前ら……」
「ちょっ、声まで変わって……っぷ」
「話すな、こっち見るな……っく」
「似合ってるぜ、親父……ぶふっ」
腹を抱えながら必死に笑うまいとしている三人の前に、歳の頃は十四、五といった少女が怒りのオーラを発しながら仁王立ちしている。
サラサラの銀の髪、ぱっちりとした空色の瞳、桃色の唇は艶やかに潤んでいる。
細い肩にはあまりにも不釣り合いなサイズの赤いコートは、父親の服を着てみた子どものように微笑ましい。
見るも可愛らしいその姿だが、今の彼らにとっては笑いを誘うものでしかない。
「もういっそ笑えばいいだろ!」
その言葉に耐えきれなくなったのか、或いは床を叩きながら、或いはぷるぷると震え、或いは腹を抱えて、それぞれの感情を表現した。
「い、いきなりび、少女に、へ、変身とかっ……!」
「……っ似合っているぞ、ダンテ……っぷ」
「お、れの、親父、ちょー可愛い! っぶくくくくくくく!!」
肩で息をしながら少女に変わってしまった三十代後半男性を思い切り笑う。
今までも色々と、それこそ本当に色々とあったが、これは初めてであった。
そしてできれば最後であってほしい、皆の腹筋の為にも。
「しゃ、写真撮らない? これは是非残すべきよっ」
ぷるぷると震えながらレディはデジカメを他のメンバーに見えるように持ち上げる。
賛成が二票、反対が一票、内訳は言うまでもない。
数日後、現像された写真を見て再び笑いの波に襲われる三人と、それを不機嫌に眺める男が一人いた。