天使の微笑

ハロウィンの当日、ネロに差し出されたのは黒い猫耳を付けたマントだった。
差し出したのはそれを作った張本人であるであった。
黒いシャツにジーパン、手には室内なのにビニール傘といった格好をしている。
今にも昨日と明日のことを取り違えそうな雰囲気を醸し出している。
あと、三十六万年と一万四千年をあやふやにして昨日のことでまとめそうな。
彼女はその美貌に満面の笑みを浮かべ、ネロがそれを着ることを今か今かと待ち望んでいることがわかる。
だがネロも十歳、可愛いよりはかっこいいと言われたいお年頃。
猫耳マントを渡されて渋い顔をした。
「母さん……俺、もっとかっこいいのがいい」
声の出ないはあからさまに衝撃を受けたような顔をしてその心境を表にした。
手の中のマントを見て、ぷるぷると小刻みに震えている。
母が動物好きなのはわかっていたが、そんなにショックを受けるとは思ってもいなかったネロは慌てて付け加えた。
「いや、別に嫌だって訳じゃないんだ。ただ……」
今まで父親であるダンテと二人暮らしだったお蔭で、イベントごとにはあまり関わることない生活を送ってきた。
ハロウィンも例に漏れず、借金を背負うダンテに仮装の衣装代が捻りだせるわけもなく、スルーされてきた。
少し前に母親だと紹介されたによって借金が解消され、生活習慣も改善、おまけにこうしてイベントごとにも参加できるようになった。
ネロはダンテの手綱を易々と取れるを尊敬していた。
初めて幻影剣でハリネズミにされたダンテを見た時には、ダンテを心配するよりも先にに拍手を送ったほどだ。
尊敬する彼女の要望には出来るだけ答えたい。
だが、最近気になる子がいるネロとしては、カッコつけたいのである。
それが仮装であってもだ。
「この歳で猫耳は、ちょっと……」
あくまで母を傷つけまいと慎重に言葉を選ぶネロは、外見は兎も角、中身はに似たと誰もが声を揃えるだろう。
一緒に暮らしていた父親が反面教師になったのかもしれない。
ネロが猫耳に対して苦い顔をしていることを知ると、は横に首を振った。
曰く、これは猫耳ではないと。
猫でなければなんなのか、ネロは眉間にしわを寄せる。
そんな動作も可愛いと眼前の母が和んでいることは、和んでいる当の本人以外知らない。
はその疑問を解消させようと、自分の影を一度軽く叩く。
ぬるりと滑る様に影が動く。
平面から立体へと影は姿を変え、現れたのは鮮血色の瞳を持つ黒い獣だった。
ネロにも見覚えがある。
シャドウという獣型の悪魔である。
常にの影に何匹か生息しているらしい。
時折ネロの影に入って護衛もしているという。
意外に汎用性の高い、のペットのような存在だ。
「そのマントって、シャドウなの?」
の手の中にあるマントを指して尋ねると、彼女はこくりと頷いた。
なるほど、マントがシャドウを模したものであれば猫耳ではないだろう。
シャドウは猫ではなく、悪魔なのだから。
よく見るとフードに赤いボタンが二つ付いていて、目を表しているようだ。
だが、ネロにはシャドウがそう怖いものには見えないのだ。
何せネロがシャドウの姿を拝む時といえば、にじゃれている時か、ブラッシングをされている時ぐらいのものだ。
到底かっこいいや強いというイメージには結びつかない。
ネロの中のシャドウに対する認識は、ちょっと大きな猫である。
「でもシャドウって猫みたいだよね」
その言葉にムッとしたのはでなくシャドウである。
魔具になれるような上級悪魔ではないが、シャドウとて中級悪魔である。
主であるに腹を見せて撫でられることに不満はないが、他者からの猫扱いは悪魔としての沽券に関わる問題だ。
だがネロに対してその実力を発揮することはできない。
この幼子は主の子どもである。
攻撃が許されるはずもない。
ぐるぐると苛立つシャドウの頭をの手が撫でる。
いつもならば掌に頭をすり寄せて来るシャドウが無反応であることに、は困ったように眉を下げた。
しかしすぐに問題が解決できる方法を思いつき、は顔を輝かせる。
ようはシャドウの強さを示せればいい。
その時、恐ろしいほどタイミング良く部屋の中にダンテが入ってきた。
黒いぼろぼろのマントを身に纏い手には巨大なハサミ、頭には不気味な仮面を斜めがけしている。
本物と違う所といえば、宙に浮いているか地面を歩いているかぐらいのものだ。
半人半魔が何処かで見たような悪魔のコスプレとは笑えない。
今にも不快な高笑いが聞こえてきそうだ。
浮かれた悪魔が口を開く前に、は素早くシャドウの背を叩く。
言葉にせずとも指示は伝わる。
シャドウは迷わずダンテに飛びかかった。
「ちょっ、なんっ、おいっ!」
突然襲いかかられたダンテは銃で応戦しようとするが、向かってくる悪魔が姉の下僕であると見て戸惑った。
その隙にシャドウは姿を変え、巨大な口でダンテに噛み付く。
しかとダンテの体を捉え、彼が抵抗する間もなくその体を床に叩きつける。
何度か鈍い音を響かせた後、ようやくシャドウはダンテを吐き出した。
そのままダンテは床に投げ出される。
折角の仮装も台無しだ。
元々ぼろぼろだったマントが更にずたぼろになって彼への哀愁を誘っている。
シャドウは悠々と地面に溶け込んで移動すると、の影へと戻っていった。
「……」
一連の流れを、一人は呆然と、一人は微笑ましく見守っていた。
シャドウはマリオネットなどの雑魚悪魔ならば蹴散らせる程度の実力を持った悪魔なのである。
マレット島では集団で襲いかかり、ダンテを散々苦しめたのも今となってはいい思い出だ。
「シャドウ、すげぇ……!」
ネロがダンテの心配も忘れて、示された実力に目を輝かせる。
こうしてその力にいたく感激し、お手製シャドウマントに身を包んだネロは、学校の友人たちと共に夜の街へと繰り出した。
気になっている女の子に可愛いと評され、その実力を語ったのは余談である。
一方、いきなりぼこぼこにされたダンテは楽しげな姉の顔に不平不満を飲み込み、差し出された甘いお菓子に天使の手ごと喰らいついた。