Crash your head!

この時期になると町のあちらこちらでパンプキンのジャックランタンや蝙蝠、黒猫、魔女などを模したアイテムが見かけられるようになる。
ジュニアハイスクールからの帰路をネロは黒とオレンジに飾られたいかがわしい店の女性たちの声を軽くかわし――相手は母の仕事先の従業員だ、同年代の男子に比べそれなりに耐性がある――早足で進む。
肩に引っかけた鞄の中には銃と聖別された銀のナイフにペンケース、テキストの類は全部学校のロッカーの中だ。
宿題は授業中に終わらせた。授業を聞かないが勉強のできるネロは、教師にとってさぞかし扱い難い生徒だろう。
彼が殊勝に教師や上級生を立てる様なことをするはずがない。
ネロが尊敬しているのはただ一人、己を育ててくれている母のみだ。
「ただいま!」
バンッと勢いよく扉を押す。
何度も壊され改築を繰り返しかなり丈夫に作られたそれは、常人よりも強いネロの力で押しても罅さえ入らない。
果たして、そこに彼の望む人の姿はなかった。
扉の向かいに据えられた机と椅子には、雑誌を頭に乗せ長い脚をひけらかすように机の上で組んだ男が眠るばかりだ。
ネロは赤に身を包んだその男――悲しいことに彼はネロの実父なのだ――を無視して、キッチンのある扉奥と二階に視線を走らせる。
事務所にある扉の奥にはキッチンの他に風呂や洗濯機などのある脱衣場がある。
仕事がなければ、こちらにいる可能性が高い。
対して、この時間に彼女が住居スペースである二階にいることはまずない。
だが彼女の所有する魔具であるベオウルフは大抵二階にいる。
母が仕事であるかどうかを判断するには彼の悪魔に聞けば確実だ。
ネロは荷物を置く為にも二階に向かうことを決めた。
寝ている父親には一声もかけない。
声をかけても碌な返事が帰って来ないことはとうの昔に学習済みだ。
「ベオー、ベオウルフー」
二階に上がりながら悪魔の名を呼ぶ。
母に使役される彼の悪魔は、ネロの面倒を見るよう命じられている。
故に犬の様な姿の隻眼の悪魔は、呼ばれた名にひょこりと姿を現した。
「母さんは仕事か?」
問われた事柄に答えるように、小さな頭が一度頷いて見せる。
「いつ帰ってくるかわかるか?」
「夕暮れまでには」
小さな姿に見合わぬ深みのある声が答える。
事実、彼の真の姿はその声に合った威厳のあるものだと教わったことがある。
口数の少ない彼がネロは案外気に入っていた。
父のようにべらべらと舌のよく回る男は、ネロの経験上まともじゃないのが多い。
特に、こんな界隈では。
「困ったな……」
今日まで言い出さなかったネロが悪いのだが、できるだけ早めに頼みたいことがあったのだ。
自分でやってできないこともないが、母の方が丁寧で確実な仕事をする。
「何があった」
「いや、学校で仮装コンテストがあって、優勝したら一教科分の単位をくれるっていうんでさ。歴史の単位欲しいんだよ」
ネロは明確な目的がなければ仮装コンテストなどに出場するようなタイプではない。
単位さえ取れれば授業を堂々とさぼれる。
国についての話を延々と聞くだけの退屈な時間からの解放が彼の目的であった。
「我が主に衣装の作成を強請るつもりだったか」
「まあな、でもいないんじゃ仕方がない」
ベオウルフはいつもを『我が主』と呼ぶ。
ネロは肩を竦めてみせてから、部屋に荷物を放り込んだ。
衣装の材料は探せばどうにでもなるだろう。
いざとなれば本物の悪魔を使ってもいい。
そこいらの悪魔を狩れば材料には困らないで済む。
「話は聞かせてもらったぜ!」
妥協しようとしたネロの背後から、ばばーん!と効果音の付きそうな勢いで跳び出してきた影。
赤いコート、黒と赤のインナー、男らしく絶妙な配置をされた美しい顔は、オレンジの塊に隠されていた。
人の頭よりも一回りは大きいそれにはにんまりとした顔が彫られている。
この時期にはよく見かける顔、そう、ジャックランタンだ。
「……」
三十代半ばだというのにノリノリで頭にカボチャを被っている父親に何と言ってやるべきか、ネロは次々と頭に浮かぶ言葉に何度か口を開きかけ、目を逸らした。
母の気持ちが今なら痛いほどわかる。
何を言っても無駄なんだろうなと、明後日を見ていたあの気持ちが。
「Hey, Kid! 困ったなら父親を頼れよ!」
頼れなさそうだから無視したんだろうが、とは思っても言わないのが優しさか。
なんでこのカボチャ頭は母さんと兄弟で、俺の実の父親なんだろう。
ネロは甚だ不思議に思った。
「ハロウィンの仮装だろ? ならとっておきの奴があるじゃねーか!」
ああそうかと、ネロは気付いた。
イベントが近いからダンテのテンションがいつもより五割増しでウザいのだと。
もしかしたら、そのテンションの高さを見越してはダンテが起きる前にさっさと仕事に出かけて行ったのかもしれない。
是非とも一緒に連れて行ってほしかった。
一人逃走したであろう母を少しだけ恨む。
「ほらよ!」
ダンテが後ろ手に隠していた物をネロに見せつけるように両手で広げる。
裾の擦り切れた黒いローブ、首元は赤い石の付いたブローチで留めてある。
予想していたよりもずっとまともな代物にネロは目を剥いた。
だってあのダンテが、いつもネロで遊ぶことかといちゃつくことか食って寝て戦うことしか考えていないようなダンテが、まともなものを用意している。
何か裏がある。真っ先にネロは疑った。
「それ、何の仮装だ?」
「これはジャックランタンだ」
「つまり……」
「俺の被ってるカボチャをお前が被って完成だ!」
ダンテが何かを進んで人に譲るという。
これは疑ってしかるべきだ。
「……ちなみにそのカボチャ、買って来たのか?」
「そりゃキッチンにあったのをちょいと拝借して……」
ダンテは慌てて口を閉じたが遅かった。
恐らくそのカボチャは近日中にハロウィンの菓子の材料か、食事の材料になる予定だったのだろう。
それを勝手に刳り抜いて、ジャックランタンにしてしまった。
ネロがやったならば仕方ないで済ませてくれそうなものだが、犯人がダンテであるとが知ればまた剣が飛ぶだろう。
彼女は実の弟に対しては容赦のよの字もない。
なのでダンテとしてはネロに押し付けて、カボチャはネロの為に使ったという大義名分がほしいのだ。
「ほほぅ」
それもバレるまでの話だったが。
彼女はそこでずっと聞いていた。
予定よりもずっと早く仕事が終わったのだが、二階が騒がしい。
密かにベオウルフを呼び、ネロの事情を聞いてダンテの口上に黙って耳を傾けていた。
「なるほど、自分の息子を言い訳に使おうというその根性、頂けないな」
「母さん……」
……!」
かつん、かつんと彼女が階段を上る音がやけに響く。
腕にベオウルフを抱え、こめかみに青筋を立てている。
「キッチンのココア、クリームチーズ、バター、小麦粉に卵や砂糖やらを駄目にしたのは、ダンテ、お前だな?」
カボチャ頭の中から口笛が聞こえる。
誤魔化しているつもりなのだろうか。
先に大量の菓子を量産されハロウィンに悪戯できた覚えのないダンテは、ついに強硬手段に出たようだ。
今頭に被っているカボチャもその一環だったのかもしれない。
ベオウルフが一瞬光ったかと思うと、の両手足に銀色に輝く武具が装着されていた。
キッチンの守護者はお怒りだ。
「日本では、夏にスイカ割りという遊びが行われることがある」
は閻魔刀をネロに預けると、片足を引いてカボチャ頭に向かって構えた。
「季節と割る野菜は違うが、構わんだろう?」
割ったら赤いものが出てくるのは同じだと、言って捨てた彼女の背にネロは鬼神を見た。
ダンテ は にげだした!
だが  に まわりこまれてしまった!
ダンテ は にげられない!!
思わず心の中でRPGゲーム風のナレーションを流しながら、ネロは両親の喧嘩をぼうっと見ている。
「単位、真面目に取るか……」
飛び散った赤混じりのカボチャに、ネロはハロウィンの恐ろしさをまた一つ胸に刻んだ。