My lovely cat

ありえない。
ベッドの上で項垂れるその頭には、へしょんと垂れた髪と同色の銀の毛に覆われた獣の耳が生えている。
腰とレザーパンツの隙間からは、こちらも銀色の毛がふさふさと生えた長い尻尾が顔を出していた。
慟哭の声が上がる。
「……んで、なんで俺なんだっ!!」
猫耳と尻尾を生やしたダンテは、姉の姿がいつも通りであることに対して憤っていた。

始まりは朝、彼の叫びが響く十分ほど前のことである。
朝食の準備を整えたが未だ寝ているダンテを起こしに、弟の自室へと向かった。
ちなみにこの時、閻魔刀は欠かせない。
寝ぼけたダンテにベッドの中に引きずり込まれることがあるからである。
その時はとっさに幻影剣でハリネズミにしてしまい、血塗れのシーツを全部買い替える羽目になってしまった。
はそれ以降、引きずり込まれた時には血を出させない為に、閻魔刀で全力の峰打ちを朝から弟の腹に喰らわせている。
峰とはいえ金属、さらに悪魔の力で思い切り殴れば人間など真っ二つだが、そこは相手も人間より頑丈な半魔、白い肌が少しばかり(あくまでもの基準だが)どす黒くなる程度で済んでいる。
ダンテは「普通に斬られた方がまだマシだ」と時折ぼやくが、彼女はあまり気にしていない。
部屋の前に着いたは、まずはドアを二回ノックする。
「ダンテ、朝だ」
もちろんこれで起きるなどとは夢にも思っていない。
しかし、先に起きていて着替えていたりしたら、姉に見られるのは気恥ずかしいのではないかという心遣いである。
半裸でそこらをうろちょろしている男にその心遣いが必要かどうかは別として。
「入るぞ」
ドアに鍵など付いていないので、普通にドアノブを捻り入室した。
部屋の奥にある、ベッドの上でシーツにくるまっている物体からふにゃふにゃと寝言とも寝息ともつかない声が聞こえてくる。
なんともだらしないと思う反面、他の人間の気配があればすぐに起きるダンテが自分の前だとこうも安心して眠れると思うとは嬉しくなる。
しかしいつまでも寝させてはいられない訳で、シーツの端を掴み、思い切り引っ張った。
「いい加減起きろ、こ、の……?」
寝ぼすけがと続けようとした声は不自然に途切れた。
は混乱していた。
目の前にいるのは自分の双子の弟のはずだ。
悪魔と人間のハーフだが、二人とも人間社会で普通に生活できる外見と能力を持っている。
では、コレは一体何だ。
すよすよと眠る弟の頭部にふかふかの三角形をした耳が生えている。
思わずは目を擦った。
何の幻覚だこれは。
次に彼女が起こした行動は、本来あり得ないその耳に触れてみることだった。
幻覚ではなく実在しているのかを確かめるためだ。
動物好きの本能が騒いだとか、そんなわけではない、多分。
そっと指先で耳の先端を摘む。
ふにっとした感触に、の顔が綻んだ。
そのままふにふにくりくりと指先で揉む。
もはやダンテを起こすという目的を完全に見失いかけていた。
バローダの指が耳の付け根を優しく掻くと、耳がぴょこぴょこと動く。
うっとりと、まさに法悦の表情ではその耳を弄っていた。
「ん……、……?」
耳を弄られ続けていたダンテが漸く目を覚ます。
寝ぼけ眼の弟に名前を呼ばれて、はびくっと体を震わせた。
別に悪い事をしていたわけではないのだが、なんとなく決まりが悪い。
即座に表情をふやけたものからクールなもの切り替える。
姉としてのイメージを保つことは大切だ。
「起きたかダンテ、調子の悪いところはないか?」
声がいつもより優しい気がするが、恐らく気のせいだ。
猫耳に惑わされたとか、決してそんなことはない。
「おはよぅ……」
ダンテが上半身を起こして伸びをすると、頭部の耳もぷるぴると震える。
――待て、落ち着け、cool downだ。
は自分に言い聞かせるが、内心弟を撫でくりまわしたくて堪らなかった。
「調子の悪いところだっけ? 特にねぇけど」
どうしたんだアンタがそんなこと聞くなんてと、生意気そうに笑うダンテをいつもだったら鼻で笑うだが、今日は顔を合わせようとしない。
何やら言い淀んだ挙句、鏡を見てこいとだけ言い残すと、彼女はやはりダンテに視線を向けぬまま部屋を後にした。
常と違う様子の姉に何かあったかと首を傾げながらも、ベッドサイドに立て掛けてあったリベリオンを鏡代わりに覗き込んだ結果が、冒頭の叫びへと繋がる。

暗い空気を纏って降りてきたダンテを、いつも通り温かい朝食の香りが出迎えた。
バターと苺ジャムが添えられたトーストにサラダ、野菜たっぷりのミネストローネスープ、ヨーグルトには生の苺が乗せられている。
だがテーブルを挟んで向かい合わせに座るは、やはりダンテの方を見ようとしない。
逆にダンテは姉の方を見つめて、猫耳も尻尾もないことに落胆していた。
へにょりと伏せた耳がその落胆具合を顕著に表していた。
が時折耳を見てはすぐに目を逸らすので、ダンテはますます落ち込む。
――流石に男の猫耳はないだろう、普通。
最愛の姉に気持悪がられてると思うほど、耳が項垂れてゆく。
耐えきれなくなったのはの方だった。
「ダンテ」
名前を呼ばれて嬉しいのか、少しだけ耳が上がる。
顔を緩めないように己を律しながら、は自分のヨーグルトからダンテの器へと乗っていた苺を移した。
「やる」
一言呟いて目を伏せたが、の視界の端からピンッと立った耳が見えていた。
単純な奴と思いながらも、そこが可愛くて仕方がないのだ。
開き直ったは食後はいっそ素直に可愛がろうと、上機嫌でミネストローネを飲んだ。
が、すぐに顔を顰める。
どうやら自分も動揺していたらしいとは思い知った。
こんな定番のボケをしてしまうとは。
鍋に残っていた妙に甘いミネストローネは、流し台に捨てられた。

寝起きとは打って変わって、ダンテは幸せだった。
姉が何だか優しいのだ。
ソファに座って手招くに従い素直に隣に座ると、珍しく自分から膝枕をしてくれた。
膝の上に乗ったダンテの頭を優しい手つきで撫で、柔らかく微笑んでいる。
ダンテが手を伸ばしての白い頬に触れると、細い手がその手を取り、彼女の瑞々しい唇がそっと触れる。
ついでとばかりに前髪をかきわけ露わになった額にも口付けが落とされた。
常にないサービス加減だ。
一瞬夢かと考え、夢ならば覚めなくてもいいとも思った。
つい自分の頬を抓ると鈍い痛みがあって、これは自分の願望というか欲望が見せた夢ではないことに、ダンテは内心狂喜乱舞した。
はダンテが自分で引っ張った頬に触れると、仕方のない奴めと笑う。
そんな姉の様子に、双子の片割れに対して日々不埒な欲望を抱く弟が、今なら何をしても怒られないかもしれないと思い浮かぶのは当然の流れだった。
ダンテは手始めに仰向けからうつ伏せに体制を変えてみた。
柔らかい膝に両手と顎を乗せる。
自分の体に潰されていた尻尾が、やっと自由になったと言わんばかりにふわふわ動く。
は少し驚いていたようだが、長く優美な尻尾に関心を取られていた。
瞳がいつになく輝いている。
「……触っても、いい、か?」
耐えきれないとばかりに零れた言葉は、恥じらいと期待に満ち溢れている。
そんな煮詰めたジャムのようにとろとろと甘い声は、できればベッドの中で聞きたかったと思いながらもダンテは頷いた。
五本の指が優しく尻尾を包み込む。
ふかふかの触り心地には目を細めるが、触られているダンテは首を傾げていた。
姉が幸せそうなのはいいのだが、なんだか背筋がムズムズする。
体の下に敷かれていた時には邪魔だという思いしかなかったのだが、改めて触られると身に覚えのある感覚が込み上げてくる。
指が尻尾の根元の方から(付け根は晒せない、下半身露出は流石のダンテでも躊躇われた)先端までを悪戯に撫でると、頭の先から痺れが走る。
腰がずくりと疼いて重くなるのをダンテは感じていた。
一方の手で耳を揉まれるとくすぐったい様なじれったい快感が生じる。
ふっと息を吐き出して熱を追いやろうとするが、下半身を中心にじくじくと疼くものは一向に収まる気配を見せない。
「どうした、ダンテ? やはり何か体に異常でもあったのか?」
様子が変だと気付いたがダンテの顔を覗き込む。
眉を八の字に寄せ心配する姉の姿を目にして、ダンテの下半身が一気に熱を帯びる。
肩に手を掛け体重を乗せると、勢いのまま位置が逆転した。
驚いたが目を見開くが、ダンテは構わずに白い首に噛み付く。
びくりと姉の体が震えたのを喉奥で笑った。
皮膚を破らないギリギリの強さで歯を立て、舌で嬲る。
腰をわざと強く押し付けると、頭上で艶やかな息が漏れた。
「待てもできないのか、お前は」
呆れたような、しかし何処か笑いを含んだ声が降ってくる。
ダンテの頭に生えた耳が摘まれ、叱るように引っ張られる。
首に齧り付くのをやめて目線を上げると、はやはり笑っていた。
気をよくしたダンテは、一番上まで閉められたカッターシャツの襟を歯で咥える。
「今の俺はどうやら猫みたいだからな。生憎、犬と違って待ては習わないんだ」
首を後ろに引くとボタンが宙を舞った。
縫いつけるのは誰だと思っているんだと、ぺしりと頭を叩かれた。
しかしダンテがそんなことで止まる筈もなく、シャツから覗く青いレースに包まれた膨らみに手を伸ばす。
はやる気満々の弟の猫耳が生えた頭頂部をもう一度ぺしりと叩いて笑った。
「仕方のない奴だ」
苦笑を含んだ姉の声にダンテが頭を上げると視線が交わる。
向かい合った同じ色の二対の瞳は、等しく愉悦に輝いていた。
「たまには」
の腕がダンテの首に回る。
ぐいと引き寄せられて、触れるだけの口付けが落とされた。
「お前の遊びにつきあってやろう」
ソファが二人分の体重を受けぎしりと軋んだ音を立てる。

猫になるのも悪くないとダンテが思ったのかは定かではないが、次の日には消えていた尻尾と猫耳を双子はそれぞれ惜しんだ。