Very Merry Christmas!
国柄だけで言えば一年で一番盛り上がるだろう行事であるというのに、彼女と弟に関しては人生の中でそれを祝うことを許されたのは幼くまだ二人の両親が健在であった時までのことであり、母の死を境目に長らく行事という行事に縁のない日々が続いていた。
生活の困窮という切実な問題から祝日のささやかな宴は遠ざけられ続けていたが、事務所を立ちあげてから一年後、姉の献身的な労働と倹約、馬車馬の如く走り回されサボろうとしては比喩でなく物理的に鞭打たれていた弟の血と涙により十数年越しにクリスマスを祝うこととなった。
とはいえども別段大々的に何かするのではなく、身内だけのささやかな宴である。
逆を返すとそんなささやかに祝うだけの金さえもなかったという事実が浮かび上がるのだが、そこを指摘すると何処からともなく次元斬が襲いかかってくることとなる。
事務所の貧困の原因であるダンテに。
事務所で二人きりのクリスマスを過ごすようになってからは毎年欠かすことなく、日付が前後することはあろうともクリスマスは祝われていた。
そして新しい家族を迎え入れ、二人きりから三人で過ごすようになったクリスマスももう7度目を迎えることとなる。
コトコトと鍋の中身が煮える音、フライパンの上ではじゅうじゅうと音を立てながら肉が焼け、オーブンの中でパンが甘く香ばしい匂いを辺りに漂わせながら膨らみ狐色にその姿を変えてゆく。
一家の大黒柱であるは冷徹とも取られかねない鋭く静謐な美貌に薄く笑みを浮かべ、キッチンにて今日という日の為に常よりも少しばかり豪勢な夕食を作っていた。
「ダンテ、そちらはどうだ?」
母を待つ子どものようにキッチンを覗きこんでいた弟にはドレッシング作りという任務を与えた。
オリーブオイルとワインビネガーに砂糖、塩、胡椒、レモン汁を少々加えよく混ぜるだけという簡単な作業だ。
分量は既にが計量しておいたものを渡したので、実質的なダンテの仕事といえばボールの中身をひたすら混ぜるだけである。
簡単な上危険なこともなく、ボールを引っ繰り返したりさえしなければ失敗の仕様もないが、それでいて手伝っているという実感を抱かせるは十分と、子どもに任せるには適した作業なのである。
前世での経験もあり、荒んだ世の中を渡り歩いているにとってダンテは手の掛かる子どものような一面が大きいのだ。
もちろんそれだけであれば恋愛感情など抱かないが。
「いいと思うんだけど、どうだ?」
「ん、良さそうだな」
傾けられたボールの中身はよく混ざり、オリーブオイルとワインビネガーが分離せず乳化している。
千切ったレタスやベビーリーフ、千切りにした人参などをドレッシングの入ったボールの中に放り込み摘み食いせずよく混ぜるように厳命すると、はさくさくと自分の作業を続ける。
パンが焼けたのを確認して取り出すと同時に、表面を焼き固めた肉をホイルに包んで空いたオーブンに入れて低温で焼く。
こうすると肉が固くならずに柔らかく調理できるのだ。
鍋の蓋を開けると海鮮の濃厚な香りがキッチンいっぱいに広がった。
「ダンテ」
手招きをすればボールを持ったままダンテが寄って来る。
スプーンに乗せたブイヤベースの汁を差し出せば、餌を待つ小鳥のように素直に口を開いた。
スプーンを赤い舌と対照的に白い歯を晒す口内に差し込めば、唇が閉じてもごもごと舌で味わっているのだろう、突き出たスプーンの尾が上下に動く。
「薄くないか?」
「丁度いいんじゃね? これうまいな」
鍋を覗こうとする頭を、摘み食いの気配を察したがさっきダンテの口から引っ張り出したスプーンで叩く。
「まだ仕事はあるぞ。食事はネロが帰って来てからだ」
「うぃーっす」
事務所に今いないネロはケーキを買いにおつかいに行っている。
流石にダンテとが実力者として幅を利かすこの界隈にネロを誘拐しようなどという命知らずな不届き者はいないと思われるが、念のためボディガードとしてケルベロスとベオウルフという対人間ならば完全に相手がオーバーキルな二体が着いて行っている。
はた目から見れば賢い大型犬を二匹連れた見目麗しいお子様なのだが、だからといってネロに不埒なことを企んだ者には楽しく華やかな聖夜が陰惨な血濡れた命日に変わることは間違いない。
が二体の悪魔に、襲ってくる者があれば容赦などするなとゴーサインを出していたなんてダンテは聞いてないし見てもいない。
ということにしておけば幸せな一日が過ごせるはずだ。
「そういえばクリスマスケーキ、今年は何だろうな」
「さて、好きに選んでおいでとしか言ってないからな。王道はブッシュドノエルか」
実はアメリカではあまりケーキを食べないのだが、つい日本人だった時の癖のようなものでがクリスマスにケーキを出していたらそれがこの家の恒例になってしまった。
それが不自然に感じられないほど一緒にクリスマスを祝えるようになったことを彼女には心の底から嬉しい。
しかしこの国の伝統にも沿うようにとジンジャーマンクッキーも同時進行で作られている。
既に作ってあった生地を麺棒で延ばし、型抜きは暇になったダンテに任せる。
これも失敗しようがない上に、子どもが割と好む作業だ。
アイシングは焼く前にするものと焼いた後にするものとどちらもあるが、焼いた後に施すと色鮮やかに仕上がるし変色しないのではそちらの方が好きだ。
まん丸頭のジンジャーブレッドマンが量産されている横で、は料理の仕上げと飾りつけに入っていた。
ヘクセンハウスを作ってみようかとも考え付いたのだが、型抜きをしているのはダンテなのでその作業を横取りしては悪いし、今から設計図を描いて作るのは時間的にも材料的にも無理があるため、来年に先延ばしすることにした。
「ネロはお菓子作りとか嫌がるだろうしなぁ」
娘でもいたらは一緒にヘクセンハウス実物大だろうと何だろうと作るのだが、子どもとは言え男の子のネロは一緒にお菓子作りは嫌がるだろう。
「あれ、、もしかして娘とか欲しい?」
「いっそお前が妹になるのでも構わない」
ちらりと覗いた聖夜に相応しくない剣呑な瞳にダンテはキュッと股間を抑えて後ろに下がった。
チッと鋭い舌打ちが聞こえる。
隠し子発覚以来、は未だにダンテの股間のブツに対して厳しい。
隙さえあれば閻魔刀で狙ってくるのは勘弁してほしい。
「じゃあネロに妹か弟でもプレゼントするかー」なんて言った瞬間にダンテの股間のマグナムは本体と離れ離れになるに違いない。
の影から閻魔刀が柄を出し今か今かとソワソワした様子でいるのが証拠だ。
以心伝心な主従の本気が怖い。
「ただいまー!」
「おかえり! よく帰って来た!」
「おかえりなさい、外は寒かったろう? 手を洗っておいで」
タイミング良くダンテの性別を守る形でネロが帰宅した。
熱烈に歓迎するダンテにドン引きながら、にケーキの箱を渡すと頭の上に乗っていた雪を払われる。
また何か余計なことを言ったんだろうなと幼いながらも聡明な頭で考えながら、一緒に帰宅したケルベロスとベオウルフの足を渡された温かい濡れ布巾で拭い、母の言いつけに従って手を洗うため洗面台に向かう。
家の中に漂う料理の匂いと温かい空気を胸いっぱいに吸い込んで、ネロは微笑む。
夕食は皆で一緒に取って、ケーキを切って食べて、テレビを観て笑って、温かいベッドで眠り、明日の朝になれば事務所の暖炉の傍に飾られたツリーの下にプレゼントの箱が並ぶのだろう。
暖炉に飾ったクリスマスソックスの中には今年はどんなお菓子が入っているのだろう。
ネロにはが特別に大きいソックスを編んでくれたので、美味しいお菓子がいっぱい入っているに違いない。
ツリーの下にクッキーとミルクも忘れずに置いておかなくてはいけない。
ダンテが型抜きしていたところを見たので焼き上がったら少し貰うことにした。
ああ、なんて幸せ!
きっとそれは
が愛しい息子と恋しい弟に一番与えたかったものなのだ。