そして出会う
昔から母に言い聞かされていることがある。
驕り高ぶるな。
相手の力量を見極めろ。
勝てないと思ったら引くことも必要だ。
けれど誰かを守るためには一歩も引くな。
そして、
ダンテという男にだけは、可能な限り関わってはいけない。
それが母の教えだった。
悪魔退治の依頼に熱中していたら、すっかり夜が更けていた。
ネロはさっきまで散々悪魔を屠っていた異形の右腕に、白い布を巻きつける。
フードで目立つ銀の髪を隠し、家路を進む。
何らかの事情で帰れないと連絡を入れない限り、家では母が、どんなに遅くなっても自分が帰ってくるまで寝ずに待っていてくれる。
幼い頃から変わらぬ笑顔で、おかえりを言う為に。
それがネロには酷くくすぐったくて嬉しかった。
母は女手一つで自分を育ててくれた人だ。
いくら強いとはいっても――どんな悪魔相手であれ、未だ母の本気をネロは見たことがない――苦労はあっただろう。
それでも母はネロが不自由しないよう、出来る限りのことをしてくれた。
人里離れた場所からではあったものの、学校へも通わせてくれた。
何故か母はあまり人前に出たがらず、フォルトナの森の奥に家を構えている。
しかし母は学校行事には必ず参加してくれた。
いつまでも美しく気高い母が、ネロはひそかな自慢だった。
そして勉学と共に、剣の扱いを教えてくれたのも母だった。
ネロが知っている限りでは母が一番強い。
幼馴染のキリエの兄で教団の騎士をしているクレドでさえも、恐らく足元にも及ばないだろう。
ネロは父の顔も名前も知らない。
尋ねたことがないわけではない。
父の話になると母は困ったように、切なく笑った。
『いつか必ず、すべてを話そう。お前には……知る権利がある』
父について話す時、母はいつも手袋の上から左手を押さえていた。
その下に銀色の、細身の指輪がはめられていることをネロは知っている。
それを彼女に贈ったのが自分の父なのだろう。
アイスブルーの瞳に灯った優しい光が、今でもその人を愛しているのだと語っていた。
「Hey, kid ! Can you tell me ?(よお、坊や。ちょいといいか?)」
気配は、なかった。
声を掛けられて、初めて背後を取られていることを知った。
ネロは歯噛みする。
明らかに相手は自分よりも強い。
「人捜しに協力願いたいんだ。なあに、時間は取らせないさ」
軽い口調の中にも実力に裏付けされた自信が満ち溢れている。
男の低い声は静寂の中でよく通る。
ネロはそっと愛銃のブルーローズを腰から抜こうとした。
避けられることはあっても威嚇と目くらまし程度にはなる。
振り向きざまに装填されている弾をすべて撃ち尽くすつもりだった。
ネロの左手が銃のグリップに触れる。
「おっと、オイタは駄目だぜ、坊や」
その腕が男に掴まれた。
いつの間に背後に寄っていたのか、全く悟らせない動きだった。
気配がないと言っても、声を掛けられた時からネロは男の存在を意識し気を配っていた。
ネロとて、そう戦闘経験がないわけではない。
デビルハンターとしてはそれなりの位置にいることを自負している。
しかし、本当にあっけなく背後を取られてしまったのだ。
気付いたら後ろにいたなどと、笑い話にもならない。
「あんた、何者だ?」
少なくとも一般人ではない。
同業者、そうでなくともあまり表で堂々と名乗れない人種だろう。
「おお、そうだったな。人にモノを聞くときゃ名前ぐらいはいっておかないといかん」
大仰な動きで少し離れたのがわかる。
ネロはゆっくり振りかえる。
とっぷりと満ちた月をバックに、銀色の髪が煌いた。
赤いレザーのコートがばさりと翻る。
背には骸骨を模した柄の大剣が月光を跳ね返し、その存在を示している。
無駄なく鍛えられた筋肉が、赤と黒を基調とした服の下で隆々と息づいているのがわかる。
しなやかに伸びた四肢は野生の大型獣を連想させた。
顎には年相応に髭を生やし、普通ならみっともない筈のそれが、逆に男としての色気を醸し出している。
鋭いアイスブルーの瞳は力に満ちていた。
「俺はダンテ、デビルハンターだ」
ダンテが名乗るまでもなく、顔を見た瞬間、既にネロには彼が誰だかわかっていた。
むしろ納得してしまった。
彼は全く違うようで何処かよく似ていた。
敬愛する、自分の母、に。
『そのダンテってのは、どんな奴なんだ?』
尋ねると、母はやはり困ったように笑った。
『甘党で、酒と派手なことが好きな、ただの馬鹿さ』
『そして私の弟だ。……双子の、な』