最愛、

コンクリートの道路が崩れ、ビルが倒壊してゆく。
周辺一帯の地面が隆起し、その中央からスラム街に似つかわしくない建物が、夕暮れに照らされながら姿を現した。
まるで地面から生えてきたかのようなそれは、高く高く聳え立つ。
それは古い石造りの塔だった。
赤く照らされた姿は、まるでこの塔に入るものの姿を暗示しているようで酷く不気味である。
塔の上に悠然と立つ蒼い影を映し、ダンテは苦々しく声を上げる。
「最後に会ったのは一年前だったな……早いもんだ」
静かにこちらを見下ろす姿は、一年前に姿を消したはずの姉のものだった。
離れていながらも、視線が向けられていることをダンテは知っていた。
きっとあのアイスブルーの煌めきは変わっていないのだろう。
姉の姿を見据えるダンテの横を、未だ残っていたらしい黒衣の悪魔が通る。
ビルの側面を蹴りながら身軽に移動する悪魔に鉛玉を喰らわせようとアイボリーを向けるが、結局銃口から弾丸が出ることはなく、ダンテは白い愛銃を腰に戻した。
悪魔はふわりふわりと飛んで、遠く、塔の頂上へと向かってゆく。
舌打ちを一つ、塔を睨みつけダンテは歩き出す。
「当然もてなしてくれるんだろう」
彼女ははいつだって優しかった。
誰かに迷惑や被害が出るようなことをするような人間ではなかった。
だが、あの日、姉が姿を消してから一年が経った。
変わってしまったというならば、悪魔になってしまったというならば、
優しかった人はもういないというのならば、
「なあ、!」
止めさせなければいけない。
弟として、ただ一人を愛する男として。

は、遠く、こちらに向かってくる赤いコート姿から背後に現れた気配へと意識を移す。
「アーカムか……」
アーカムと呼ばれた男は牧師の着るような黒い服に全身を包み、片手には古い本を携えていた。
ぎょろりとしたヘテロクロミアの瞳は爬虫類を連想させるようなにごりを伴っている。
闇の力に魅せられた、愚かで哀れな人間。
「どうかね? 興奮しないか?」
一歩、また一歩、ゆるりとした足取りでバローダへと近づきながら、彼は語る。
「ようやく復活を果たしたのだ。かつて魔界と人間界を結びつけていた、この古の塔――テメンニグルがな」
声を高らかに、己が妻さえも犠牲にした男はまだ見ぬ力に酔いしれる。
「素晴らしい眺めだろう。神に逆らい悪魔の力を求めた異端の徒――その英知の結晶の上に我々は立っている」
人を捨て力を得て、男は何を望むというのだろうか。
「今こそ我々は、彼らの思いを受け継ぎ、二千年という時を経てこの地上を再び――」
「そんな事はどうでもいい」
長々と続く演説を鋭い苛立ちの声が遮った。
は己の計画とズレが生じたことにひどく憤りを感じていた。
原因はアーカムがした行動、ダンテを挑発しこの塔に来るよう仕向けたことだ。
「私はアミュレットを奪ってこいと言ったはずだ」
今彼女が手にしているのは母から譲られた片割れのみ、もう一つのアミュレットは未だダンテの首に掛かっている。
キンッと、刀の鯉口が切られた。
余計なことを言えばすぐにでもに斬られそうな気配を察して、アーカムは僅かに後ずさる。
「誰もあの愚弟をこのテメンニグルに招待しろなどと、指示した覚えはないのだが?」
向けられる視線に温度はない。
冷たい絶対零度のアイスブルーは暗い殺気を帯びて輝く。
鞘走りの音が聞こえたと思う間もなく、銀の刃がアーカムの喉元に突きつけられる。
動けば、殺される。
暗い静寂に満ちた空間を引き裂いたのは黒衣の悪魔だった。
「……わかっているだろうが」
塔を登り目の前に現れた悪魔を一瞥し、は口を開いた。
刀がゆっくりと下ろされ、アーカムが息を吐く。
父から譲り受けた刀――閻魔刀を片手に塔の中へ入ろうとするの背後を悪魔が追う。
それは一瞬だった。
抜いたままだった刀が翻り、彼女は振り返らぬまま刃を上から下へと振るう。
耳障りだった悪魔のうめき声が途絶えた。
静かな動作で刀が鞘に戻される。
カチンと、鞘と鍔がぶつかる音と共に黒衣の悪魔は霧散した。
「次は、ない」
明らかな警告だった。
次に余計なことを、彼女の意にそぐわない事をすれば、アーカムもこの悪魔と同じ末路を辿ることになるだろう。
古き塔の頂上で、鋭いヒールの音が響いた。