寂しがり屋の従者

だいぶ言葉も覚え、体も動くようになった頃、はダンテと一緒に母の語るお伽噺を聞いていた。
古の魔剣士、かつて魔帝を封印した悪魔スパーダの話を。
「あれ?」
「どうしたの、
こてんと首を傾げる娘に、母であるエヴァは話を中断する。
ダンテは姉の真似をして首を傾げている。
鏡合わせのようによく似た双子のきょとんとした表情はひどく愛らしい。
零れそうなほど大きな瞳をぱちくりとさせて、は舌足らずに疑問を口にした。
「すぱーだって、ぱぱとおんなじなまえ?」
不思議そうにする娘に、エヴァは優しく微笑みかけた。
「そうよ。貴方達のパパはね、魔剣士スパーダなの」
「ぱぱすごーい!」
きゃっきゃっと無邪気に笑うダンテとは対照的に、はますます首を捻る。
「じゃあぱぱはあくまなの?」
「そうなの。でもね、パパはいい悪魔なのよ。だからこんな可愛い子供たちが生まれたんだから」
自分で尋ねておいて失礼な話ではあるが、はこの時、母の話を子供向けの冗談だと思っていた。
たしかに父は神出鬼没で、若干時代錯誤な貴族服を着ていて、なにやら怪しげな剣やら銃を所持していたが、まさか悪魔だなんてありえない。
子供騙しにもほどがあるだろう。
そもそも悪魔とか、なにそれ。
あっさりと信じている弟を横目に、はそう判断した。
そして彼女は、それら全てが真実で現実だったのだと思い知らされることになる。

彼らが住んでいる場所はどこから見ても城だった。
敷地面積も然ることながら、建物の内部もかなりの広さを誇っている。
好奇心旺盛な子供が遊ぶには相応しい場所だったのかもしれない。
少し目を離した隙に子供部屋を飛び出して行ったダンテを捜しながらは思う。
取り敢えず子供部屋には鍵を掛けるべきだ。
走れるようになって行動範囲が広がった子供の好奇心を甘く見てはいけない。
そもそも、少しばかり大人しいからといって双子の姉に弟の世話を任せるのは如何なものなのか。
その辺りは今後両親と話し合うべきだと、はうんうんと頷く。
「だんてー、どこー」
とにかく目先のこととしては、弟の確保が最優先である。
前世というチートを持つ姉とは違い、ダンテは年相応に無邪気に無鉄砲で、後先考えない行動をしでかしてくれる。
さっさと捜した方が身のためだと本能が告げていた。
「だんてー?」
適当に近い部屋のドアを開けて、身を隠す場所がないことを確認して閉める。
たったそれだけの動作ではあるが、二桁に突入すると面倒になってくる。
なにせも、体だけはぴちぴちどころかぷにっぷにの幼児なのだ。
体力がそんなにあるわけではない。
走ったらすぐに赤ゲージだ。
「だーんてー」
時折思いついたように開けた部屋の棚などを覗いてみるが、残念ながら弟の姿は見えない。
何故かは本人も知らないが、なんとなくにはダンテがどちらにいるのかはわかるのだ。
ダンテも姉がどこにいるのかおぼろげながらにわかるらしいので、双子のテレパシー的なものかもしれない。
そのおかげで限られた範囲での二人かくれんぼは、つまらないことこの上ないのだが。
とはいえ、明確な位置まで察知できるわけではない。
ダンテは上の階には行っていないようなので、は一階を中心に探索している。
「だ・ん・てー」
こんなにも呼んでいるのに出てこないということは、ダンテとしては遊んでいるつもりなのだろうか。
だが、こんなにも名前を呼ばれているのに自分から出てこないのは珍しい。
ましてや呼んでいるのがなのだから尚更だ。
ダンテは何故だかにとても懐いている。
それこそ、もっと歳を取ってもこのままだったら、仲が良いを通り越して怪しい関係だと後ろ指をさされかねないほどだ。
なんせ、産まれて初めての意志を持った言葉が双子の姉の名前である。
そこは普通親を呼ぶのではないのだろうかと、その時隣に寝かされていた、名前を呼ばれた張本人であるを大いに戸惑わせた。
最終的には可愛いし嬉しかったから良しとした辺り、彼女も立派な弟好きである。
それに、よくよく考えればの意志を持った第一声も、たどたどしくはあったが「ダンテ」だった。
人のことは言えない。
そのうちダンテが「ねえちゃんとけっこんするー」とか言い出すのだろうかと、不安半分期待半分の複雑な気持ちで見守ってたりもする。
の気分は姉というよりも母親に近い。
「だーんーてー」
とてとてと石造りの城の中を、弟を捜して歩いて行く。
十を超えたあたりで数えるのを止めたが、いくつ目かのドアを開いては盛大に息を吐きだした。
「そりゃでてこないよねー」
日当たりのいい窓辺ですぴょすぴょと眠る弟の姿に、は脱力した。
ずいぶんと歩き回らされたというのに、当の捜し人は優雅にお昼寝タイム。
少しばかりやるせない気分にさせられる。
ふくふくしたピンク色の頬を、八つ当たり代わり指でにつつく。
ふにふにふにふにふにふに
幼児の肌は柔らかすぎて困る。
は更にダンテの頬を両手で摘むと、痛くない程度に揉み出した。
ふにふにふにふにふにふにふにふに
餅だ、搗きたての餅がここにある。
引っ張ったら流石に起きるだろうと断念したが、心地よい感触に指は捕らわれたままだ。
自分の両頬にも同じものが付いているが、それはそれ、これはこれ。
他人の頬だからこそ楽しいのだとは見えない誰かに主張する。
数分後、飽きるまで弟の頬を揉みしだいたの顔はとても満足げだった。
その正面で昼寝しているダンテは変わらずすぴょすぴょと寝続け、起きる様子を全く見せない。
なんというふてぶてしさ。
やることもなく暇になったは、部屋の中を探索することにした。
ダンテが起きた時にがいないとぐずるからである。
同じ部屋の中にいれば、弟が起きた時にも気づけるだろう。
どれだけダンテに甘いのかと自身思わないでもないが、懐いてくれるのも子供の内だけだろう。
ダンテが反抗期に入ったら、真っ先に反抗的な態度を取られるに違いない。
それまでは思う存分甘やかしたっていいじゃないか。
は自覚あるブラコンだった。
適当な棚を爪先立ちで覗き込み、テーブルの上にあるものを椅子によじ登って眺める。
ここは父の書斎らしく、現段階では読めそうにない難解な本や、パイプ、黒革の日記帳の様な本、白が僅かに優勢のまま止まったチェス盤など、さまざまな物が静かに息を顰めている。
は本棚から適当に本を抜きだす。
もちろん読めるわけではない。
英語の読解力は肉体年齢相応のものだ。
ただ、背表紙が随分と凝った装丁だったので、表紙はどんなものなのか気になったのだ。
挿絵があれば眺めるだけでも十分に時間を潰せる。
――カコン
僅かに響いた音には目を見開いた。
彼女が棚から本を完全に抜き出した瞬間だった。
何かを組み合わせたような、木と木がぶつかる音。
もしかして危ないのではと、は慌てて本を棚に戻す。
――コトン
今度は何かが落ちるような音がした。
本が入っていたところに何かあって、それを押し出してしまったのではないか。
先ほどのはそれが落ちる音だったのかもしれない。
は慌てて本棚の横に手を添え、後ろを覗き込もうとした。
途端に転んだ。
本棚があって転ぶ筈のない、前方へ。
体重をかけられた本棚はあっさりと横にスライドする。
思わぬ事態には口を開けぽかんとした表情を晒した。
「かくし……べや……?」
定番といえばこれ!といわんばかりに、棚があった場所にはぽっかりと暗い空間が口を開けていた。
暗過ぎて奥までは見通せないが、何故か誰かが中で自分を待ち侘びているような気がする。
突然の感覚に戸惑いながらも、はちらりと後ろを見遣り、ダンテが眠っているのを確認する。
当分は起きないだろう。
やがて幼い少女は意を決し、閉ざされた場所へしずしずと足を踏み入れた。



隠されていた部屋の中は明かりがなく、またあったとしても子供の身長では届かないだろうと早々に諦めていた。
だが見えずともは一向に構わない。
自分を呼ぶ誰かの方からはどうせ見えているのだろうという確信があった。
呼ばれたことに、呼びだす声に答えたことに恐らくは意味があるのだ。
はそう理解できる自分に戸惑いながら、部屋の壁に手をついて進む。
周辺の部屋からしてそう広くはないはずだが、子供の体には相当広く感じられる。
ましてや視界が塞がれている中では、どんなに狭い場所であっても、それが把握できない限りは無限の広さがあるように感知してしまうものだ。
放っておくべきだったかとが歯噛みし始めた頃、ようやく部屋の角に手が触れた。
そのまま壁に沿っておよそ直角に曲がる。
小さな足が、無意識の内にいつもより歩幅を小さめに取りながら、ゆっくりと歩く。
途中で足が何かに触れた。
完全に蹴りあげてしまう前には歩みを止めた。
頭の中に誰かが囁きかけてくる。
『我が名は閻魔刀(ヤマト)』
慌てて一歩下がるも、声は変わらずに囁き続けた。
『我が声に応えし者よ、汝に我が力を授けん』
「なっ……!?」
闇が凝縮してゆく。
周囲を覆っていた暗さが、まるで何かに吸い込まれるように引いてゆく。
闇の中央、部屋の一番奥まった場所にはいた。
足元には一本の刀が落ちている。
黒い鞘に収まった、日本刀のようだった。
は、この部屋の闇はその刀の鞘だったのだと感じていた。
そして自分を呼んでいたのは、それなのだと。
「やまと……か」
は幼い手でもって、その刀の鞘を掴んだ。
じわりと黒が揺らぎ、またすぐに収まる。
持ち上げると、重さを感じさせずひどく手に馴染む。
そっと、鞘から刀を少しだけ引くと、白銀の刀身が冷ややかに輝いていた。
「おまえ……あくまね?」
は感じたことをそのまま口に出した。
悪魔など存在するはずがないと思っているにも関わらず、思いついた言葉はそれだった。
歴史上、妖刀と呼ばれる剣はいくらでもある。
或いは閻魔刀もその類かと、はその手に取るまで思っていたのだ。
だが違う。
これはもっと明確な意思を持ち、力を持ち、本来ならば自分が触れることなどないものだ。
この世のものではない。
頭の中に再び声が囁いた。
『いかにも』
は納得した。
これが悪魔なのだ。
このように、この世界に存在するにはあまりにも歪で、禍々しいものを悪魔と呼ぶのだ。
閻魔刀を手に取った瞬間の恐ろしい違和感が、彼女にその存在を認めさせた。
「わたしにちからをくれるりゆうはなあに?」
こんな子供に力を与えて何をするつもりだというのだろうか。
は知能こそ大人だが、体は子供に過ぎない。
前世で有名だった某名探偵張りに、体は子供頭脳は大人である。
御しやすいとは到底思えない。
悪魔が操るのであれば、まだ精神も年相応に幼いダンテの方がよっぽどやりやすいだろう。
『我が声』
「ん?」
ぽつりと声が呟く。
『我が声を聞き、それに応えたのは汝。スパーダの封を解きしも汝。なればこそ、我は汝の下に』
これは、つまり。
は困ったように刀を見つめる。
――寂しかった、とか?
一人きり(悪魔の数え方が一人でいいのは置いておいて)で部屋に閉じ込められて、ずっと呼んでいたのに誰も来てくれない。
そこにようやく現れたのがだったということか。
もしかして懐かれたのかとは内心首を捻るが、直接聞くのは憚られる。
悪魔が寂しがり屋とか、あまり笑えない。
何より、今ここで考えるべきは、これをどうするかだ。
素直に連れて行くか、置いて行くべきか。
父の書斎にあったということは、父の所有物なのだろう。
ましてや封をしてあったということは、重要な意味を持っているのかもしれない。
きっと置いて行く方がいいのだろう。
けれども。
「おいで」
見つけてしまったのは自分だった。
孤独を孤独のままで終わらせてやれなかったのはなのだ。
置いて行ったとして、一度誰かに見つけてもらったならばきっと次もあるだろうと、希望を抱いてしまうだろう。
それはあまりにも哀れで残酷だ。
何より、ここで見捨ててしまっては後味が悪すぎる。
「いっしょにいこう」
『……御意』
責任は、取らなくてはいけない。
震える刀を撫でてから胸に抱え、彼女は部屋を出た。