失くした言葉

鋭い切っ先でその身を斬られながらもなお、は笑った。
それはかつて失われたはずの笑みだった。
優しく力強く、全てを許し包み込むような。
それを奪ったのは在りし日の自分だったのだと、ダンテは痛いほどに知っていた。
だからこそ、の笑顔を見た瞬間、ダンテの身は戦慄した。
これほど美しいものを壊してしまったというのか。
これほど優しいものを奪ってしまったというのか。
最初から傍にあったから気づけないものもある。
身近過ぎてダンテは見失ってしまっていた。
彼女は、姉は、は、ずっと悲しいぐらいに優しい人だった。
「あ、ねき……」
呆然と、ダンテは微笑む姉をただ呼ぶことしかできない。
「なあ、ダンテ。私の負けだ、それは認めよう。だが敗者である私の願いを、一つだけ叶えてくれるだろうか」
ダンテにはそれを断ることもできた。
当然だ、本来ならば負けた者が勝った者に何かを強請るなどありえない。
しかし、だからこそダンテは頷いた。
がその道理を知らぬはずがない。
だというのにわざわざ言い出したということは、それなりの理由があってのことだろう。
そうでなくても、それまでの負い目などもあって、ダンテは最愛の姉の願いを可能な限り叶えてやりたかった。
が一歩、後ろに下がる。
「あの子を、ネロを頼む」
「ネロ……?」
聞き覚えのない名前に、ダンテは訝しげな表情でを見る。
美しい笑みに悲哀を乗せて彼女は謳い上げる。
「大切な、愛おしい子。出来ればちゃんと私の手で育てて、幸せになるまで見守っていたかった」
転げ落ちていたアミュレットを拾い、はそれを強く握りしめた。
よろめく体をすぐに立て直し、真っ直ぐに立ったその姿は何よりも気高い、孤高の獣を思わせる美しさだった。
「だからダンテ、ネロを頼む。お前にしかできないことなんだ」
「おい待てよ、そのネロってのはそもそも一体誰なんだ?」
最初に思い浮かんだのは、姉の男かということだったが、話振りから察するにまだ幼い子どものようだ。
引き取りでもしたのかと思ったが、自分たちのような世界にいる者が子どもを育てるのがどれだけのことか、は知っているはずだ。
下手をすれば弱味として危害を加えられかねない。
そして、は自分がそれを見捨てられないとわかっている。
だからこそ、彼女が他人の子を引き取る筈がなかった。
「わからないか?」
逆に問いかけてくるに、ダンテは素直に首を振る。
離れてから一年、その間に何があったのかなど、たとえ二人が双子であっても知る由がない。
だというのにはダンテに問いかける。
「本当に?」
「わかんねーよ!」
苛立ち混じりで返すダンテを、困ったようには見ていた。
あくまで優しい視線は、癇癪を起した幼子をしょうがないとばかりに見る母親のそれに似ている。
ほんの少し感じた居心地の悪さを、ダンテは見ないふりをした。
「大丈夫」
は毅然とした足取りで一歩下がる。
「お前ならきっと、会えばわかるさ」
手にはアミュレットと愛刀を握りしめ、ダンテから距離を取ってゆく。
の言葉に戸惑うダンテは彼女の思惑に気づかない。
気づけない。
思わせぶりな言葉選びはがそれを見越してのことだ。
アイスブルーの瞳は感情の揺らぎを映さず、どこまでも穏やかに静かに凪いでいた。
「さあ、そろそろ行くがいい」
はっと、ダンテが気づいた時にはもう遅い。
は既に淵のギリギリの所に立っていた。
あと一歩踏み出すだけで、その身は魔界へと堕ちるだろう。
走り寄るダンテに銀色の刃が向けられる。
「願いを、叶えてくれるのだろう?」
悲痛な言葉だった。
悲しげに歪んだ顔に、ようやくダンテは思い至る。
願いすらも、自分を人間の世界に押しとどめるためのものだったのではないか。
全ては、自分のためだったのではないか、と。
さらには、この戦いすらも。
意味もなく人を傷つけるような人ではなかった。
誰よりも、傷つけることを恐れる人だった。
それでも、守るためには自分の手を汚すことも辞さない、悲しい人だった。
変わってないと思い知ったのはついさっき。
だが、が変わってないならば、こんなことを起こした理由は一つしかない。
「私はここでいい。スパーダの子として、すべきことをなさなくては」
「それは!」
ダンテは振り絞るように叫んだ。
「アンタだけが背負うべきことじゃないだろ!?」
スパーダの子だというのならば、ダンテとて同じだ。
子としての義務だというのならば、それはだけでなくダンテにも等しくあるべきだ。
だが彼女はそれを拒む。
ダンテが背負うことすら、許してはくれない。
「これはただの自己満足だよ」
父の名はただの口実なのだと彼女は嘯く。
視線を外さぬままは刀を持たぬ方の腕を伸ばし、ダンテの頬に触れた。
その手を握り返す前に、手は軽い羽のようにふわりと自然に外される。
「ダンテ、」
うっそりとした笑みに魅せられる。
咄嗟に伸ばした腕は冷たい切っ先に拒絶された。
手袋を斬り裂き、薄く掌の皮が斬れる。
床を蹴る硬い足音が鼓膜の中で響いて木霊する。
「       」
艶やかな唇が言葉を象って閉じる。
音として成されなかったそれを知ることはできない。
青が闇に飲まれていく。
ダンテの心と手に、傷を残したまま。






カツ、カツ、カツ、カツ、
ギィ、バタン

――ああ、坊やがネロか。
  捜したぜ、なんせ名前しか知らなかったもんでな。
  お蔭で迎えに来るのが遅くなっちまった。
  なるほどね、……よく似てやがる。
  あー、クソッ!
  最後まで姉貴の思い通りじゃねえか。
  ん? 別にお前を怒ってやしねぇよ。
  俺はダンテだ、好きに呼べ。
  今日はな、お前の家族になりに来たんだ。