moonlit twins
はダンテの手を振り払い、気絶した息子の体を左肩に担ぎ上げる。
何も言わないダンテを警戒しながら、利き腕である右腕は動かせるようにしておく。
何をされても反撃できるようにという考慮の元だが、気絶したネロは、言い方は悪いが今ここに於いて足手まといでしかない。
並みの悪魔ならまだしも相手は魔帝を倒した程の実力者である。
せめて起きてくれれば逃がすことができるが、今この状況で意識があっても少し困る。
は実の息子に、まだ話していないことがある。
今は話すべきではないと、ずっと先延ばしにしていた。
それが無駄な抵抗であると知りながらも、隠していたのはの罪だ。
本来ならばネロの右腕が異形と化したその日に告げるべきことであったのかもしれない。
しかし、はぬるま湯に浸かるのような安穏とした生活を選んだ。
その結果がこれだ。平穏はいずれ崩される。
わかりきったことだった。
ついに終末が訪れてしまった、それだけのことだった。
が歩き出すと、背後から重い足音と懐かしくも慣れ親しんだ気配が付き従う。
右手には抜き身の閻魔刀を下げ、は振り向かずに進む。
覚悟は決まっていた。
何がダンテの望みかなどわからなくとも、の意にそぐわぬ物であることは決まり切ったことだった。
それがこの双子だった。
性別、思考、趣向、戦い方、表情、全てが違った。
共通するものといえばその身に宿る悪魔の血と、互いを愛しているという感情だけだった。
ダンテとは、しかしながら正反対であるが故の整合性を合わせ持っていた。
足りない物を補い、補われる関係であった。
この一点においてネロの直感は正しかったと言える。
しかし反対であるが故の相違が、二人が一つであることを許さなかった。
鏡合わせの様な二人の関係を、壊したのはダンテで、崩したのはだった。
互いが互いを壊し合い、この二十年弱の期間は壊れた後に残った欠片を繋ぎ合わせることで生きていた。
寄せ集めの欠片で作った生き物は酷く歪んでいた。
姉は盲目的に息子を育て鍛え愛し、弟は機械的に悪魔を殺し蹂躙し壊した。
は器用に表面を取り繕い、ダンテは衝動に身を委ねた。
何処までも正反対に生きていた。
これからもそうだろうとは思っていた。
再び道が交わることはないだろうと。
だがダンテはそれを許さなかった。
交わらぬならば無理矢理道を繋げるまでと。
運命は皮肉にも平穏を求めるではなく、騒乱を求めるダンテに手を差し伸べる。
体に流れる呪わしき血は二人に更なる戦いを与えるというのか。
最早無用の長物と化した結界をは掻き消した。
居場所がばれてしまえば、あってもなくても同じような物だ。
むしろ結界を張っている間は魔力が消費されるだけ、余計なことですらある。
閻魔刀の一振りで結界は消滅し、後には魔力の僅かな残滓が漂うのみとなった。
「魔力の扱いが上手くなったな」
お蔭で捜すのに手間取ったと、誰に聞かせるつもりでもない呟きがダンテの口から零れた。
周りを見渡しながら、意識だけは振り向きもしないと肩に負われたネロに向けている。
自分の息子であることは、感覚で理解している。
ダンテから見たネロは、自分の子でありながらもに育てられたせいか、真っ直ぐな好青年だった。
他者を守るべく力を求めている姿は、なるほどかつてのを彷彿とさせる。
だが理解したからといって愛情がそこに生まれるかといえば、当然そうではない。
愛情は全て姉に注ぎ、捧げてしまっている。
他の相手に与える愛情などとっくの昔に枯れ果ててしまった。
逆にからすれば、ネロはダンテに似ていた。
銃を扱い剣を振り回し、力づくで悪魔を叩きつぶす姿はありし日のダンテを思わせる。
別な人間だと認識しながらも、その違いに失望と安堵を同時に覚え、複雑な愛情を注ぎながらもはネロを育てた。
自分の子どもであることに愛しさを感じ、弟の子どもであるという事実に絶望し、連綿と連なる悪魔の血に畏怖を覚え、それでも慈しんできた。
同時に存在してはならない正負の感情を、育つ度に重なる面影に抱いた。
「母の仇を討ったのだろう」
思い出したように、が口を開いた。
断定的な言葉は返事を求めていない。
彼女は遠くにあっても、ダンテをしたことを見知っていた。
「少し前に」
ダンテは敢えて言葉を返した。
実際はもう何年も経っている、錆びついた様な記憶の出来ごとだった。
魔帝を討ってから何度季節が廻ったのか。
僅かな達成感と共に感じたのはどうしようもない虚無だった。
復讐という昏い夢が終わった時、ダンテに残ったのは悪魔を殺さねばという義務感と何処にいるとも知れぬの存在だけだった。
それだけが、生きるための支えだった。
「アンタのアミュレットも役立ったよ」
今ここにはないが、父と同じ名を冠す剣を得るためには母から受け継いだ一対のアミュレットが必要だった。
は目を伏せる。
胸元には代わりの様にスカーフ留めの鳩血色のルビーが輝いているが、彼女にとってはイミテーションでしかない。
いかに高価な宝石であろうとも、本物は母の形見である赤い魔石でしかありえない。
だがそれを手放したのはバローダ自身だ。
ダンテの元を去る際に、母の形見を置いて行ったのは決別の証のつもりだった。
後に父のことを調べる最中で、それが魔界への道を拓く封印だと知った。
知った時には遅すぎた。
はそれを取り戻すためにダンテに会う気などなかったため、二つのアミュレットはダンテの手の内に残った。
の平穏を得る為の選択がダンテに力を与え更なる血塗られた道へと誘い、今に繋がるというのだから運命とは本当に皮肉だ。
「そうか……」
だががアミュレットをダンテの元に残していかなければ、父の力を得ることは出来なかっただろう。
己が力だけで魔帝に挑んだ挙句、力敵わずに死んでいたかもしれない。
それはが望む所ではなかった。
遠く離れ、再会を拒んでいても、想いだけは変われずにいた。
左薬指がやけに重く感じられる。
ダンテからは見えないだろうが、手袋の下には確かに銀色に輝く所有の証があった。
にはどうしても捨てられなかった。
未練、執着、何とでも呼ぶがいい。
自身、置き火の様にいつまでも燻ぶり身の内を焦がすその感情が、傍から見れば酷く滑稽なものだと理解している。
まるで安っぽい戯曲に出てくる恋に狂ったディーヴァのようだ。
あるいは、ダンテがムンドゥスに殺されていたら、何か変わったのだろうか。
恋人を失ったと思い込んだ女のように自ら喉を刺し貫くか。
銀盆に湛えた生首に接吻するか。
遺体を抱きしめ泣き崩れるか。
どれも現実味のない、下らない想像であった。
現実は今ここで、足音を立てて歩いている。
それが全てだ。
未練も執着も恋心も愛情も、全てを飲み込んで此処まで来た。
今更元に戻ることはできない。
は眼前に現れた我が家に、くるりと後ろを向いた。
黒いスカートの裾がはためいて円を描く。
にこりともしないどころか表情を一切変えぬまま、彼女はそれが義務であるかの様に艶やかな唇を開いた。
「ここが私と、ネロの家だ」
歓迎こそしないが、謹んで迎え入れよう。
ここにお前の居場所はないけれども。
息子を肩に担いだ母親は、自らのテリトリーに異物を迎え入れて尚、毅然としていた。
「ようこそダンテ」
月光を背に受け、は謳う。
此処はフォルトゥナ、かつてスパーダが治めた地。
今は悪魔たちの造り上げた虚像の箱庭にして、彼女の狩り場。