チェンジ!

この衝撃をどう言葉にすればいいだろう。
あるべきものがなく、ないはずのものが存在するという悲劇を。
誰がわかってくれるだろうか。
少なくともこの衝撃を最も理解し得る相手は目の前ですやすやと寝息を立てている。
は隣で眠る自分の顔をした、おそらく中身は弟であろう相手の頭を、遠慮容赦なく叩いた。
ばちーーん!
景気のいい音がなる。
いつもより高く響いた音に、思えば、体が違えば膂力も異なるに決まっている。
自分は動揺しているのかもしれないと、は他人事のように考えた。
「いってー! なにすんだよ……って、え?」
「おはよう、ダンテ」
自分の口から出たいつもより低い、しかし聞き慣れた声には眉をひそめた。
次いで自分と思しき正面の人物の反応に、やはりお前もかと、予想していた通りの展開に最早ため息すら出ない。
「お、俺?」
「体はな」
ハッとダンテは自分の喉を押さえ、体を見下ろす。
何も着ていなかったはずの上半身には白いタンクトップ、生地を下から押し上げるなだらかな二つの膨らみがあった。
見覚えのあるタンクトップ、膨らんでいる胸、高い声。
「これ、じゃね?」
「中身が入れ替わったようだ」
ダンテの姿をしたは苦々しい顔で頷いた。
鏡よりも質感のある自分の顔を見つめ合うこと数十秒、ダンテはいい笑顔でベッドから降りた。
「じゃ、シャワー行ってくる!」
捨て台詞を吐きつつダッシュ。
かつてない神速で彼は走り出した。
その意図を察したが後を追う。
身体能力はダンテの体を使っているの方が高いが、素早さだけならばの体の方が上回る。
ましてや先に走り出したのはダンテの方だ。
がベッドから降りるタイムラグの間に、ダンテは階段の手すりから直接飛び降りて一階へと向かっていた。
「こんの、愚弟がぁああああああ!!」
苦悩するでもなく欲求を優先する弟に怒りの声を上げる。
「ははは、捕まえてみろよ!」
けたけた笑いながら逃げる弟を追い駆けるのこめかみには十字と呼ぶにはあまりに夥しい、蜘蛛の巣と呼べるような量の血管が浮き出ていた。
階段の床を強く蹴り手すりを乗り越えて追う。
ダンテが自分の体で何をしようとしているのか、容易に想像できるのがバローダの怒りを煽った。
朝とはいえ下着姿で飛んだり跳ねたりされる自分の姿を客観的に見せつけられて、羞恥を通り越して怒りへと変換される。
「閻魔刀……」
『此処に』
いつもより低い声で、しかしいつものように従順な愛刀の名を呼ぶ。
閻魔刀は戸惑うことなく、現在はダンテの体であるの手の中に収まった。
悪魔に外見の違いはあまり関係ない。
契約は魂で行うものだからである。
例えダンテの体に入っていようと魂が主のものであればそれに従う。
ダンテは既にバスルームに入り、しっかりと鍵まで掛けている。
脱衣所にぽいと放り捨てられた下着に、の怒りは頂点に達した。
抜き身の刃をバスルームのドアと壁の間に差し入れ、上に跳ね上げる。
金属の切れた手応え。
は逞しい脚でバスルームのドアを蹴り開けた。
シャワーカーテンを開ければ、浴室の中で今まさに自らの胸を掴み揉もうとしているの姿をしたダンテがいた。
言い訳の余地はない。
鬼神を背負ったにダンテの顔が引きつる。
怯えるダンテに相対するの片手には剥き出しの刀のサービス付き。
何もなければそのにっこりとした笑顔に、わあ俺イケメンとはしゃげただろうに。
こめかみにくっきりはっきりとうき出した血管にダンテは姉の本気の怒りを見た。
「あのさ、自分の体だから手加減するとか、ない、かな……?」
「あると思うか? すぐ治るのに?」
の背後が青く輝く。
後光ではなく魔力による剣の形成だ。
「ですよねー」
美しい青の幻影が舞い、浴槽の水を赤く染めた。

「この体で魔人化ってできんのかなー?」
ソファの上で胡坐をかきながらタオルで頭を拭いていたダンテが、ふと思いついたようにに問いかける。
魔力の行使ができることはついさっき体で思い知ったばかりだが、魔人化となるとどうなのだろう。
「無理だろうな」
はきっぱりと言い捨てながらダンテのタオルを奪って髪を拭き始める。
長い髪をダンテのやり方で拭いていたら終わらないし、髪が傷つく。
「魔人化は魔力で体を人間から悪魔よりに作り替えるものだ。魔力が同じでないと体が反応できないだろう」
「へーほー」
「私の体で馬鹿そうな顔をするな」
仕上げとばかりに頭を叩いてタオルをダンテに放り投げた。
長い髪は水分を拭きとられ艶々と輝いている。
は説明を理解していない様子のダンテの隣に座って、胡坐を組んでいる脚をソファから手刀で叩き落とした。
「胡坐はやめろ」
「……うぃーっす」
また血塗れになるのは勘弁と、ダンテは素直に足を閉じて座った。
こうして躾はなされてゆくのである。
はいつものダンテのように半裸で過ごすというのはプライドが許さなかったのか、クローゼットを漁ってどうにか出てきた白いTシャツの上に青地に黒のチェックのシャツを羽織っている。
下はいいだろうといつもダンテが着ている黒レザーのパンツだ。
ダンテの方はといえば、最初は半裸コートを推し進めようかと思ったものの、その意見を口にした次の瞬間には本気で斬りかかられ諦めた。
白いワイシャツに黒のパンツと、が休日を過ごす恰好をするということでどうにか命の危機を免れた。
自分の体なのに的確に急所を狙ってくる辺りが、本気で恐ろしかった。
下着の着替えは当然の手によって行われた。
流石のダンテもブラジャーに関しては脱がせ方はともかく、着け方はわからなかった。
作業は目隠し無言の中行われ、中々のスリルだった。
「この体で死んでたらどうなってたんだろ……」
きっとはダンテの体で生き続け、ダンテはそのまま母と同じ場所へ召されていたのだろう。
容易に想像できる結末、ダンテは恐怖に身を震わせた。
「大丈夫だ、その体でいる間は最大でも九割殺しまでにしておく」
「全然安心できない!!」
躾は生かさず殺さずらしい。
今度の怒りが頂点に達した時は、死なない程度の最低限だけ残して殴られ斬られ刺されるようだ。
それよりも、元の体に戻った時が何より怖い。
「その体でいる間は」ということは、元に戻ったと思ったら即座に殺されることもあり得る。
「何か言いたいことでも?」
「アリマセン」
空色の目に籠った殺意、ダンテは大人しく降伏した。
誰かが見ればいつもとはこの正反対な立場を滑稽だと笑ったろうが、ダンテは取り敢えず何よりも命が惜しい。
今は大人しく従って、体が戻ってから色々すればいい。
そう、色々と。
不埒な妄想を膨らませるダンテの喉元に冷たい刃が添えられた。
「妙な考えを起こすなよ。こっちは元に戻るまで意識を奪ってやってもいいんだ」
考えは読まれていたらしい。
ダンテは両手を顔の横に上げて降参の意を示す。
顔のベースが同じせいか、ダンテの顔でも違和感があまりない。
ダンテにはがいつものに見える。
あくまで、ダンテにとっては。
「おーいダンテ、仕事持って来たぜー」
がちゃりと、事務所兼リビングのドアが開いたのはあまりにも不運な偶然としか形容できない。
イタリア人らしい陽気な声とにやにやとした笑みが、ソファに目を移した途端に固まる。
双子からすれば互いを認識できるのでいつもの光景にしか思えないが、エンツォから見ればダンテがの首に刀をつきつけているドメスティックでヴァイオレンスな光景に他ならない。
どうすべきか、情報屋としての意見と双子の友人としての意見をぶつかり合わせ、0コンマ1秒で結果を出した。
「お、お邪魔しました!」
バタンッと勢いよくドアが閉まる。
自分の身の安全を最優先させた、人間として賢い選択である。
だが、見られた二人、特にDV疑惑を抱かれてしまったダンテからすれば堪ったものではない。
「エンツォ、ちょっ、待ちやがれっ!!」
ソファから飛び降りドアに駆け寄るが、既に姿はない。
路地裏に隠れたか、店に飛び込んだのだろう。
ダンテの悪評が広まるのも時間の問題だ。
ダンテは肩を落としながらソファに座り、の肩に頭を寄せる。
「俺が何したってんだ……」
セクハラだろうという言葉を飲み込んで、は哀れな弟の頭を撫でた。



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