酔いどれ女王様

初めにそれを言い出したのは、当然のことながらダンテであった。
「たまにはさ、二人で酒でも飲もうぜ」
テーブルの上に種類を問わず並べられた瓶は、わざわざ少ないポケットマネーで買いに行ったのだろうか。
は冷たい色の双眸を瞬かせ、驚きを表す。
金遣いの荒く、仕事の選り好みが激しい弟には余分な金をさほどないはずだ。
受けた仕事の謝礼から生活費を抜けば、バーでストロベリーサンデーとジン・トニックを嗜むことですぐに消えていく。
貯金なんて概念がダンテにあったというのか。
には甚だ疑問であった。
「この酒はどうした?」
「この前バーでちょっとしたことがあってな、そこのマスターに貰ったんだよ」
大方暴れる客を伸したか。
見当をつけながらはテーブルの上に並べられた瓶を一つ持ち上げる。
なるほど、全て新しい酒でなく封が開いているようだ。
中身も半分ほどない。
貰い物というのは本当のようだと、は瓶をテーブルに戻した。
バーのマスターは恐らく謝礼代わりと、ついでに貴重ではない古い酒の処理として寄越したのだろう。
金品を剥がれたであろう伸された相手は、相当羽振りがよかったのか。
家にあった安酒と共に、僅かながらに名の知れた酒も紛れるようにして並んでいる。
瓶の中の残量自体は少ないようだが。
「私は弱いぞ?」
遠回しな許可の言葉にダンテは腕を広げて笑った。
「アンタが酔ったらちゃんと介抱してやるさ」
「……信用しよう」
流石のダンテも酔わせてどうこうする趣味はないだろうと、は台所に向かう。
「ツマミの希望はあるか」
「オリーブ以外なら何でも!」
冷蔵庫に入っている食材を頭の中で確認しながら、ツマミのメニューを組み立てる。
夜はこれからが長い。
精々楽しもうとは冷蔵庫を開けた。



脱ぎ散らかされたブーツとズボン。
青いコートからすらりと伸びる一切の無駄がなく人体として理想的な曲線を描く脚が、琥珀に濡れる。
薄く色づいた膝から柔らかそうなふくらはぎと脛を伝い、足の先、つるりとした爪を濡らして床に滴る。
何がどうしてこうなった。
ダンテは瓶を抱えて己が脚を酒に濡らすに、何も言えず頭を抱えた。
うっそりと笑むその頬には朱が差し、アイスブルーの瞳は虚ろにだが艶やかに濡れている。
上半身を時折思い出したかのように揺らし、くすくすと柔らかに笑う。
酔っている。
しかもただの酔っ払いではない、これ以上ないほど泥酔しているのだ。
ダンテが今までのの酔いようを見ていた限りでは、彼女は酒を飲むと眠くなるタイプとばかり思っていた。
だが今のは、意識があると言っていいのかどうかは定かではないが、とにかく寝ていない。
そして、今の彼女は。
「どうした、だんて。すきだろ」
とても悪質な酔い方をしていた。
夢現の狭間を彷徨いながら、はダンテに酒で濡らした脚を伸ばす。
何が悪かったのだろう。
ジンとウォッカとバーボンとブランデーでちゃんぽんしたものを飲ませたのがいけなかったのだろうか。
もしくは酔い覚ましにが飲んでいた水にスピリタスをこっそり混ぜたのが問題だったか。
はてまたカルヴァドスをリンゴジュースと偽って最早酩酊状態だった彼女に渡したのが悪かったのか。
原因と思わしきことが多すぎて、ダンテには見当がつかない。
だが彼にも言い分はある。
酒の席では大抵何でも無礼講として許されるはずだ。
ましてや彼らは半魔、アルコールで中毒を起こすこともあるまい。
ならばどれだけ飲ませても問題はないはずだ。
逆にそのせいで調子に乗って飲ませ過ぎたことも否めないが、反省などない。
ダンテの辞書にも反省という文字は載っているが、そもそも辞書が使われる機会はめったにない。
今回もその限りである。
「ほらだんて、のめ」
ついと脚が差し出される。
肌の上を滑る酒はその殆どが床に零れて、残っているのは僅かに皮膚を濡らす分だけだ。
舐めろと言っているのだろうか。
上げられた脚が下肢を隠すコートの裾を持ち上げる。
ダンテからはコートの影になっていて見えないが、今の下半身が纏っているのは下着と、皮膚を滴るアルコールだけだ。
酒で緩められた理性を喰い破ろうとする欲望をダンテはどうにか押さえ付ける。
相手は重度の酔っ払いだ。
何より、今ここで手を出せば後が恐ろしい。
「舐めろってか?」
「だっておまえ、すきだろ」
なめるの、と舌足らずに囁かれる。
はい大好きです。
などと言って素直に行動したら明日串刺しになるのは目に見えていた。
早贄にされた虫やトカゲと同じ格好で一日過ごすのは少々不便だし、機嫌が悪いは扱いづらい。
どうするべきかをダンテは酒瓶片手に考える。
だがすぐに彼は考えることを放棄した。
どうせ考えたって何もいい案など浮かびやしないのだ。
やがて、いつまで経ってもダンテが何もしてこないことで飽きたのだろう、は脚を床に降ろした。
子どものように濡れた床に爪先を浸して遊ばせる。
何が楽しいのか、ふふふと笑いながら素足を伸ばしている様は、稚い動作と成熟した肢体と相まって匂い立つような色香が漂っている。
外に出したらたちまちホテルに連れ込まれるだろう。
もちろんダンテがそんなことをするはずもないが。
だが連れ込む側の気持ちが今のダンテには痛いほどわかる。
惰性で酒を煽りながら、目はから離すことができない。
いっそ襲ってしまおうか。
ふと考える。
殴られるのはいつものことだし、不機嫌なもどうにか宥めればいい。
そんなことよりも、今の理性の影もない彼女を味わってみたい。
元より我慢強いという言葉とは程遠い男だ。
理性はアルコールの魔力に絡め取られ欲望に飲み込まれた。
ここからはR指定だ。
と、ダンテとしてはいきたいところだが、それを許さないモノがいる。
『貴様、何をしようとしている』
の影からするりと姿を現したのは一本の刀だ。
閻魔刀、彼女の愛刀にして忠実な従者だ。
「何でもねーよ」
『酔った主に手を出すなどという不届きな所業をなそうとすれば、我が身にて細切れにしてくれよう』
「だから、何でもねーって!」
ダンテは降参の意を表すように両手を顔の横に挙げた。
の意思がないときに事に及ぼうとすれば、その切れ味を体で味わうことになるだろう。
ダンテはあらかじめ閻魔刀をから離しておかなかったことを悔んだ。
すっかり冷めてしまった。
攻撃されながらヤる趣味はない。
「やまと?」
『はい、此処に』
突然現れた閻魔刀にはことりと首を傾げるが、酔った頭はそれを些細なことと処理し、恭順を示す従者をその手に抱き上げた。
「ふふ、やまとはいいこ、ねぇ?」
幼子がぬいぐるみにするように抱きかかえた閻魔刀の柄を指がそっと撫でる。
上から下へ、何かを確かめるように指が何度も往復する。
行為を彷彿とさせる動きにダンテは口の端を上げた。
こういうのも悪くはない。
ダンテはまだ残っている酒を飲みながら見ている。
は片腕で鞘に包まれた本体を、もう片方の手で柄を撫でる。
まさしく愛撫という言葉がぴたりと当てはまるような触れ方だ。
彼女は柄を握るとそのまま柄頭に唇を寄せる。
「いいこいいこ、ね」
子どもの額に与えるように、あるいは巡礼者への祝福のようにはキスを一つ与えると、閻魔刀を抱きかかえたままソファの上に転がった。
眠くなったのだろう、瞳は半ば瞼の奥に閉ざされかけている。
「俺にはおやすみのキスはないのか?」
「だんてはぁ、もうちょっと、いいこになろうねぇ」
いい子じゃないからキスはあげないということなのか。
いい子じゃない要素を探せば探すほど出てくるので、何も言えない。
酔っ払いの戯言というには少々意味深な一言がダンテの胸にさくっと刺さった。
『ざまあみろ、これが日頃の行いの差だ』
「……うっせぇ」
抱きかかえられ口付けを受けた閻魔刀の声が、今のダンテには癪に障った。