真昼の悪魔たち
至って穏やかな昼下がりだった。
ネロはプライマリースクールに行っているので後2時間は帰って来ないだろう。
いつも通り、と言うと何とも虚しい気分になるのだが、仕事はない。
細々とした依頼は午前中に姉が片づけた。
ダンテはただ惰眠を貪っていただけだった。
の帰って来た事務所はそれまでよりも明るい。
彼女が掃除しているからというのもあるが、精神的なものが大きい。
ネロという希望は残されていたからまだマシだったが、彼女がいなかった間の喪失感は計り知れないものだった。
胸にぽっかり穴が開いたような、と形容する言葉があるが、ダンテにしてみれば胴体を丸ごと持って行かれたような心地だった。
悪魔に刺されれば痛みはあるが、どうにも実感が薄かった。
それを寂しさと知ったのは、と共に帰って来てからだった。
そして今、愛しい姉はダンテが寝そべる向かい側のソファで一人、雑誌を読みふけっている。
表紙からして子ども服が載っているものらしく、時々片手に持ったボールペンを紙面に走らせている。
真剣な表情は白すぎる顔色と相俟って、冷たく無機質な印象を抱かせる。
が忌々しい魔帝の支配下から逃れても戻らなかったのが、喉と肌の色だった。
白磁を通り越して青ざめた肌の色と、二度と直接聞くことはできない声が、かつて魔帝に支配されていた彼女の日常に残る後遺症だった。
また、魔人化した姿にはあの敵大したネロ・アンジェラが色濃く表れる。
だがダンテにとってそれは大した問題ではない。
大切なのは器ではなく中身、どんな姿になろうと彼女がであるということなのだと知っている。
流石にネロ・アンジェラの鎧姿に性的興奮を覚えるかと言われればそれはまた別の話だが、最近は中身がならば割とありかもしれないと、新しい扉を開きかけているダンテもいる。
当の姉が聞けば嘆くどころかダンテを殺して何も無かったことにしそうだ。
愛とは時に非情なものである。
「あーねきー」
時々鬼畜な姉に声をかければ、言葉は返って来ないものの雑誌を見ていた顔がダンテの方を向く。
何かと問う瞳は柔らかい水の色をしている。
血濡れのピジョンブラッドでは決してないのだ。
「んー? 呼んでみただけー」
折角の整った顔立ちをでれでれと溶け崩れそうにして言ってのけるダンテに、しかし彼女はこてんと一度首を傾げ、そのまま怒りだすでもなく紙面に視線を戻した。
そんな動作でさえも愛おしいとダンテは熱視線を送る。
ダンテのシスコン度合い、もといへの愛は、彼女が帰って来てから上昇の一路を辿って止まない。
会えない時間が愛を育てるというが、案外間違いではないのかもしれない。
本人もそれを自覚していて、止めようとするどころか隠す気が一切ない辺り、かなり性質が悪い。
それを呆れながらも受け入れているも同罪である。
傍から見ればただのバカップルであることに、早く彼女は気付いた方がいい。
気付いたら気付いたで血の惨劇が起こるのだが、主に弟に。
ソファでごろごろと波打ち際に打ち上げられたトドのように転がるダンテは、悪魔と戦う時のスタイリッシュさを遥か彼方に追いやったような体たらくだ。
時折姉を呼ぶ以外は基本的に静かにしているが、視線はずっと姉を追っている。
食事中であろうと手と口を動かしながら目だけはを見ているし、その度に視線が五月蠅い行儀が悪いと殴られ幻影剣が飛ぶのだが、それさえも嬉しそうに受け止めている彼にはもうつける薬がない。
ダンテに特に用もなく呼ばれるという妨害を乗り越え雑誌を読み終えたは、テーブルの前にボールペンと閉じた雑誌を置いた。
そわそわし始めたダンテに苦笑しながら、ソファに先程までより深く座り込むと、膝を叩いて腕を広げる。
【Come on】
シンプルな誘いの言葉が魔力で綴られるよりも先に、ダンテはの胸に跳び込んだ。
まるで子犬のようだと、大きな背に腕を回し、昔よりも少し伸びた銀の髪を指で梳る。
自分よりもずっと大きくなってしまったのに、何処か稚い弟を彼女は抱き寄せる。
ダンテは男のロマンが詰まったふくよかな姉の胸の谷間に顔を埋めている。
ここで厭らしい顔でもしようものならセクハラだと次元斬が襲いかかるのだが、安らいだような穏やかな顔をされてはも受け入れるしかない。
「」
呼ばれて何?と顔を覗きこむ。
優しい眼差しが注がれることの何と心地よいことか、触れる体温の温かさにダンテが何度涙しかけたか。
彼女は知らなくていい。
伝えたいことは他にある。
「I missed you」
魂の片割れを失った数年間はひどく長かった。
いつかこのまま心が朽ち果ててしまうのではないかと思うぐらいには。
「I need you」
それはダンテがダンテである為に。
人間と悪魔の中間、傾かないままである為に。
生きていく為に。
「I love you」
どれだけ伝えても伝え足りない。
言葉にしないと足の爪先から頭の天辺まで愛情だけで溢れてしまいそうで。
私も、愛しているよ。
言葉にならない想いが口付けの形を借りて、柔らかくダンテの顔に降り注いだ。
穏やかで怠惰な昼下がり、事務所の一角は双子の為だけの甘い蜜の様な空間へと変わる。