歪な想いの末路
は掴まれた手を振り払った。
「何のつもりだ?」
ごく自然で軽い動作だった。
それも実の弟でなく街中の不埒なナンパ男に向けられたものであったならの話しだ。
元々スキンシップ過多気味の姉弟であったから、手が触れることなどよくあった。
だが、それは過去形であって今は違う。
避けられていると、ダンテはここに来てはっきりと確信した。
最近姉と話すことが減った、顔を合わせる時間が減った、何よりここ数週間、が笑った顔を見ていない。
その事実に気付いた時、ダンテは慄いた。
「何で避ける」
久々にしっかりと顔を見た気がする。
氷色の瞳は相も変わらず美しく、今のダンテにはその輝きが少しばかり疎ましかった。
「いい加減、姉弟離れしないと問題だろう」
一般的には一片たりとも紛うことなき正論だ。
互いに18歳、いつまでも一緒にはいられない。
だが突然突き放されたダンテには、彼女の言葉がとても冷たく響いた。
の本心が何処にあるか、彼には見えない。
それがひどく不安を煽った。
「問題なんかねぇよ! 離れる必要なんか何処にもないだろ!?」
声を荒らげるダンテに対し、はあくまで冷静に、目を伏せゆるりと首を横に振った。
「なんでっ、アンタまで……」
いつか、失わなければならない日が来るのだろうか。
誰かの隣で笑う姉を、指を咥えて見ていなければならない日が。
唯一の家族だというのに、もう彼女以外、自分には残されていないのに。
幼い日の喪失がダンテの心を縛っている。
過去に捕らわれたダンテは、が悲しげに表情を歪めたのを見ていなかった。
手を繋いでいたかった。幼い日のように、何も知らなかったあの頃のように。
いつまでも一緒にいたい。
そんな弟の、子どもの様な願いを、は叶えてやれない。
全てはその胸に宿った、宿ってしまった想いが故に。
「お前にもその内、大切な人ができる」
「アンタ以上に大切なヤツなんてできねぇよ!!」
反発するダンテの目を真っ直ぐに見据えた。
自分よりもほんの僅かに濃い青に言い聞かせる。
それでも、決して触れようとはしなかった。
「聞け、ダンテ。家族愛と恋慕は違う。いつかお前にも想う誰かが現れる。一生を共にしたいと願う奴ができる。私よりも大切な人が、できるんだ……」
それはどこか、自身に言い聞かせているような声だった。
悲しみがの胸の内を浸食するが、決意を秘めた氷色は揺らがない。
想いを自覚した時に、彼女はもう決めてしまったのだ。
生まれた恋心は深く沈めてしまおうと。
家族が大切で、ダンテが好きだから。
家族でいられなくなる想いは必要ない。
「にも、できるのか?」
いつか自分よりも大切な人が。
縋るようなダンテに、しかし彼女は無慈悲に頷いた。
「ああ、いつか」
ダンテでなく、他の誰かを愛すことができるだろう。
それがいつかは彼女にもわからない。
だが沈めた想いが風化した頃には、次こそは歪でなく純粋な恋を抱くことができるはずだ。
は思っていた。
願っていた。
願いは引き金となり、運命の撃鉄を落とした。
「いやだ」
小さな、しかしはっきりとした声がの耳朶を叩いた。
腕がこれまでにない強さで掴まれる。
当然の如く振り払おうとするが、単純な膂力ではは男であるダンテには敵わない。
握られた腕がぎりぎりと鈍痛を訴える。
常人であればそろそろ骨に異常をきたしそうな強さで握られている。
「この手を離せ、ダンテ」
拒絶の言葉。
脳が沸騰し一瞬で冷え切るような感覚に、眩暈さえ覚えた。
ダンテの意識がはっきりとしたのは、噛みつくようにの唇を塞いだ後だった。
いつも静かで落ち着いた色をした瞳が、すぐ鼻先で大きく見開かれているのが愉快だった。
柔らかく濡れた肉を本能のまま食む。
姉に口付けているという異常な状態の中で、胸に溢れたのは困惑と絶望と、これ以上ないほどの愛おしさ。
ダンテは悟ってしまった。
彼女の望むように、他の誰かを愛し家庭を築くことなんてできない。
ましてや、この手を離すだなんて。
「許さない」
隣から一人で離れることを、自分以外の手を取ることを願うことを、もうダンテは許せない。
「どけ!」
「嫌だね」
唇が離れた瞬間、伝う銀の糸を切るようには叫んだ。
艶やかで熱を帯びた唇、否定しか吐き出さないならば塞いでしまおう。
黙らせるための手段であると思いつつも、ダンテはどうしようもない劣情を実の姉に感じることに、驚嘆すると共に納得した。
もう一方の手で引き寄せた頭に鼻先を埋めると、シャンプーの甘い香りが鼻腔に飛び込む。
これが恋でなければ、愛でないのならば何なのだろう。
ダンテは考える。
の言うように家族愛だというならば、一般家庭というものはこんなにもどろどろとした感情を内包しているのだろうか。
少なくとも、幼い頃に母に感じたそれとは異なる情動にダンテは突き動かされている。
こんな、優しくしたいのと同じくらいに壊してしまいたい衝動を感じたことなんて、なかった。
傍にいられるなら何でもよかった。
けれど、離れるというならもう我慢しなくてもいい。
「俺は、他の誰かなんて選ばない。一生一緒にいるのは、がいい」
「っだからそれは!」
「勘違いでいいさ、それでアンタが納得すんなら。でも、この感情はアンタにも否定させない」
本当は、ずっと愛していた。
見たくなかった、知りたくなかった感情。
普通ではないとわかっていたから、振り切るように、閉じ込める為に、色んな女と寝た。
残ったのは虚しさと、どうしようもない胸の痛みだけだった。
それでも、傍にいられればよかったのに、この手が繋がれているというだけで我慢できたのに。
弟という頸木からダンテを解放したのは、皮肉にも家族であることを強く求めただった。
「私達は人間だ!」
だから畜生道に堕としてくれるなと、は涙をこぼさぬままに泣いた。
「でも悪魔だ、そうだろ?」
悪魔に人の倫理はない。
欲望は貪るもので、悪徳は愉しむもの、禁忌は犯す為にあるのだ。
例え実の姉弟で交わろうとも、悪魔であるならば何の問題もない。
ダンテの言葉を否定することがにはできない。
魔剣士スパーダという魔界きっての高位の悪魔を父に持ったことは純然たる事実であるからだ。
だが同時にダンテの言葉は、彼らの中に流れるもう一つの血を否定したことになる。
「それでも、私達は……私は…………」
「もう黙ってろよ」
それでもなお正気に縋りつくかのように、強張った繊指は己を抱く逞しい背中ではなく青いコート生地を引っ掻くだけだった。
優しく落とされる口付けに頑なな氷色が揺れる。
ダンテは構わず白すぎる首筋に噛み付く。
ぎちりと力を込めた先から犬歯が薄皮を破って肉に潜り、滲んだ赤い鉄錆の匂いに知らず口の端を上げた。
かつて感じたことのないほど欲情がダンテの腹の底で燃え上がっていた。
掴んでいた手に唇を寄せ、見せつける為にわざとらしく殊更ゆっくりと爪先から舌を這わせる。
禁忌を犯す絶望は、腐った果実のような甘く馨しい香りがした。