日常な非日常

「へぇ」
彼女はいつも唐突に、その呼び名にそぐわぬ行動力を示す。
その日も彼女の訪問も、いつもと同じように何の前触れも予兆もなく、人ならざる者たちの蔓延る事務所に姿を現した。
「しばらく見ないうちに随分素敵な趣味になったのね、ダンテ」
堂々と不敵な笑みさえ浮かべてDevil May Cryに入って来た女性に、迎えたパティはきょとりと眼を瞬かせ、ダンテは嫌そうに顔を顰めた。
事務所の主が歓迎していないことなど一目でわかるだろうに、彼女は曰く「素敵な趣味」へと変貌した内装を見て回る。
「なるほどね」
窓際に寄り薄いレースのカーテンを引きながら、彼女――レディはこの事務所を改装した人物へと声をかける。
「貴女がパティ・ローエルね?」
「えっ、何で知ってるの? ひょっとしてあたしって有名人?」
自分が有名であるという事実にパティは驚きと少しの喜びをその幼い顔に浮かべた。
母親が歌手であった為、認知度が高いイコール素晴らしい人間だという認識があるのだろう。
見知らぬ人間に名前を把握されているというのに呑気に興奮しているなど、この街に住む人間からすれば危機感が足りないにもほどがある。
が、それを指摘してやるほどこの少女をこの街に留めておく気は誰もない。
「デビルメイクライに出入りしている女の子。街じゃちょっとした噂よ?」
それがよい噂ではないということはパティ以外の全員がわかっていた。
ダンテやバローダはその外見と腕っ節で、その道の人間でなくても知られている。
二人を倒して名前を上げようという同業者も少なくない。
「だからって、わざわざそのガキを見物しにきたってわけでもねぇんだろ?」
今まで二人のやり取りを静観していたダンテが漸く口を開く。
ガキという形容にパティは頬を膨らませるが、それにフォローを入れる者はいない。
「用件はなんだ、仕事の話ならお断りだぜ」
ピザを一齧り、ダンテは嫌そうにレディに問いかけた。
彼としては関わりたくないが、ここで声をかけないと面倒になるというのがわかっている。
キィ、
レディが口を開こうとしたのを見計らうように、事務所奥の扉が静かに開いた。
芳醇で甘やかな香りが事務所内に一気に広がった。
ティーカップを乗せたお盆を片手に影の事務所の主が何食わぬ顔で入ってくる。
!」
最初に声を上げたのはパティだった。
「聞いてよ、ダンテったら酷いのよ! あたしに向かってガキって言うの! レディの扱いがなってないと思わない!!?」
駆け寄る少女を軽々と片腕で受け止めながらも持っているお盆は一切揺らがない。
ぷっくりと膨れた少女の頬を撫でながら、は一先ず机にお盆を乗せると、ひょいと重さを感じさせない動作でパティを抱き上げる。
片腕で小さな体を支えながら、空いた手でダンテとレディの前にカップを差し出した。
「久しぶりね、
は少しだけ悩んで、机の上にあるペンとメモに手を伸ばした。
魔力で文字を形成することもできるが、一般人の括りにありまだダンテとの正体を知らないパティの前で披露すべきものではない。
【元気そうでなによりだ】
「貴女も変わってないみたいでよかったわ」
少女の背を支える手に目を留めながらレディは笑った。
子どもに甘いのは相変わらずらしい。
琥珀色を湛えたティーカップに並んで、一つだけココアがあったのをレディは見逃さなかった。
【それで、本日のご用件は何かな、Ms.】
連絡もなく来訪したレディに挨拶を交わし終え一息ついたのを見計らって、は友人から客へと対応を変える。
「借金の取り立て、って言ったらわかるかしら?」
氷よりも冷たい視線がダンテへと向かう。
ダンテの抱えていた借金はが一度清算したのだ。
それをまた厄介な相手に借りるなど、いくら温厚な彼女とて自然と冷たくなる。
【引き受けよう】
「お姉様の了承は得たわよ」
「おいおい、実の弟を売るのかよ」
華やかに笑うレディにダンテは顔を顰める。
対しては人形のような美貌を凍りつかせたままだ。
その目がはっきりと、言葉よりも明確にダンテに働けと告げている。
ここで断れば当分事務所に居場所は無くなるだろう。
ダンテは壁に掛けてあったコートを手に取った。
「わかったよ、受けりゃいいんだろ受けりゃ」
その通りだと鷹揚に姉は頷いた。



ラジカセから最大音量で流れる音楽とも言えないような雑音が耳に痛い。
安っぽい合皮のジャケットを身に纏った青年たちや露出度の高い少女たちが踊りはしゃいでいる。
車に混じって数多くの改造バイクがそこら中に転がっていた。
同じステッカーを貼っているので、この集団は走り屋のチームらしい。
「おいおい、なんだこりゃ。まさか悪魔ってあいつらのこと言ってんじゃないだろうな」
「あら、ハイウェイ管理者にとって、あいつらはまさに悪魔よ」
この仕事について話す二人の一歩後ろをが歩く。
その目は絶え間なく動き、此処にいる人間を把握しようと務めていた。
ダンテは人間を殺さない。
だがは違う。
人間も悪魔も邪魔をするのであれば平等に命を奪える。
帰ろうとするダンテを引きとめレディが提案する。
武器も言葉も必要ないと。
はレディの言葉の裏側に透ける思惑を読み取っていた。
リーダーであるヴィンセントとの会話を聞きながら、はレディが何故ダンテに依頼したのかを理解していた。
本当に彼らを邪魔だと思うのであれば、ダンテに知られぬように依頼すればいいのだ。
それを彼女はわざわざダンテを指名した。
つまり、人を殺す必要がないということだろう。
話はレディによって進められていく。
走りで勝てばダンテの仕事は終わり、ダンテと走ることでヴィンセントの目的の相手が現れる。
どちらにも利のあることだ。
ダンテとヴィンセントがバイクの準備をしている間、はレディの横にそっと佇んでいた。
ダンテからリベリオンを受け取りつつも、視線はレディへと向かっている。
二人から少し離れた場所で、漸く彼女は口を開いた。
「なぁに、何か言いたげね」
【彼らの全滅が目的ならば私に依頼すればよかった】
「それもそうねぇ」
人選を間違えたわと嘯くレディをの瞳は逃がさない。
じっと自分を見据える瞳に、レディはその顔から笑みを消した。
【今からでもいいぞ】
何がとは聞くまでもない。氷色の瞳は静かに凪いだままだった。
――斬るか?
彼女はその無機質な瞳でレディに問い質していた。
――本当に斬ってもいいのか?
真意を察しながら、弟が騙され危険に晒されることを案じるはレディを試すように見つめる。
既に手は愛刀の鯉口を切っている。
ここでレディが少しでも頷く素振りを見せれば、十余人の少年少女達は瞬く間に血を噴き出すただの肉塊に姿を変えるだろう。
それが容易にできるからこそのスパーダの子であり、裏切り者の娘でありながら意識を殺され魔帝に従わされたネロ・アンジェラである。
の実力はレディもよく知っている。
「……ハイウェイに悪魔が出るらしいのよ」
【それで?】
黒いインクの文字が整然と並ぶ白い紙を突きつけられ、レディは乾いた唇を一舐めする。
「ダンテにはそれを退治してもらうわ」
今日の依頼の裏側を語り始めたレディに、は漸く刀の鯉口から親指を離した。
レディは知らず背がじっとり濡れていたことに気付いた。
恐怖と緊張にもたらされた冷や汗であった。
少年少女たちは降って沸いた自分達のリーダーと気に食わない来訪者とのレースというイベンにはしゃぎ騒いでいる。
少し前まで自分達の命が一人の女の言動に掛かっていたとも知らず。
【いいだろう】
小さなため息は喧騒に飲み込まれた。
やがて、二つ並んだバイクが黒く排気を吐き出しながら、弾かれたように道を走り出した。
同時にヘルメットを被りライダースーツに身を包んだ女達を乗せた二台のバイクが、ハイウェイを見渡せるように小道を抜けショートカットをしながら駆け抜ける。
とレディの耳には聞こえないが何やらハイウェイを行く男二人は言い争っている、というよりも片方が噛みつきもう一方はそれをおちょくっているようだった。
どちらがどちらかなどすぐにわかる。
はどうにもお調子者な所が残る弟の背にため息をついた。 二者は差を広げられていく。
例え同じ性能を持つバイクを使っていようとも、乗っている者の違いはあまりにも大きい。
追い縋る青年も走り屋のチームのリーダーを張るだけの能力はあるが、如何せん、元々のスペックが違い過ぎる。
追いつけないことへの苛立ちを燃料にして、ダンテに追いつけず歯噛みしていたはずのヴィンセントのバイクがいきなり爆発的な加速を見せた。
ニトロを使った暴力的な加速に、突き離されたダンテがその後を追う。
だが流石のダンテも一般的なバイクでもってして、ニトロの加速に追いつくことは難しい。
加速は一時的なものでしかないので、速度が収まった辺りを狙えばよいのだろうが、それを待っている時間はなかった。
先を行くバイクの前に黒い影、もう一体のライダーが黒くけぶるように現れた。
バイクもライダーの全身も黒一色の中、テールランプだけがそれまで吸った血の色のように赤く妖しく光っている。
何処からともなく響いた哄笑に、ダンテは容赦なく銃の引き金を引くがあっけなく弾かれる。
ヴィンセントが魅入られたかのようにダンテの声に耳を貸さず加速していく中、ダンテによって穿たれる金属の悲鳴を聞きながらはレディと共にハイウェイに先回りする為にひた走った。
見えてきた影は二つ、ヴィンセントのバイクは横転していた。
銃声が聞こえたのでダンテがタイヤを撃ったのだろう。
はそれ以上気にも留めず、前方を走るバイク――件の悪魔と、それを追う弟の姿に集中した。
預けられたリベリオンを投げると、何の合図もなくともダンテはわかっていたかのように愛剣を受け取る。
バイクが二台、ハイウェイへと降り立った。
レディが銃を連射するもそれを弾いて悪魔は嘲笑う。
「何やってやがる! そんなんじゃ倒せねぇってわかってたから俺を呼んだんだろうが!!」
「そこまでわかってるなら、さっさとあいつを追い抜いて!」
「簡単に言ってくれるね」
「なぁんだ、難しいの?」
「いいや、簡単さ!」
皮肉屋同士、笑いながらハイウェイを走っていく。
ダンテが一つ抜けると、その後をも追った。
二台のバイクが悪魔を挟むように駆け抜ける。
魔力が空気を震わせ、バイクを加速させてゆく。
圧力を切り裂き、双子のバイクが悪魔よりも先に出たと同時に、化けの皮が剥がれ落ち、バイクとそのライダーの姿はおぞましいものへと変化していた。
襲いかかろうとする悪魔を、ダンテはリベリオンの切っ先で迎え撃ち、は静かに横へ下がった。
「スピードの出し過ぎは、事故の元だぜ!」
赤い血を流しながら、悪魔はさらにその姿を醜悪に歪めてゆく。
バイクとは似ても似つかぬものになったそれをダンテは下からの一閃で斬り上げた。
その胴体と思しき部分に青く魔力の刃が突き刺さる。
バイクから跳ね降りたレディは悪魔の腕に弾かれたが、その勢いのままカリーナを悪魔の赤く光る眼球に撃ち放つ。
レディはそのまま走るバイクに着地し何事もなかったかのようにバイクを止め、悪魔が炎上する様をそのヘテロクロミアで嘲笑った。



ハイウェイの悪魔を倒した報酬は、残念ながら殆どダンテの懐に入ることはなく、鉄橋を壊した分、更に借金が増えただけだった。
パティは呆れたようにため息を吐き、ダンテは苛立ちを露わに電話の受話器を投げる。
はそんな結果はわかりきったことだろうと、肩をすくめ、事務所の前の気配に珈琲でも出すかと奥へと引っ込んだ。