But love
すいよすいよと安らかに眠る姉の体を抱えながらダンテはソファを占領する少女にため息をついた。
ガタゴトと耳障りな雑音の中でもは目覚める気配を見せない。
彼女はあの孤島から帰ってから、よく眠るようになった。
仕事がなく家事が一段落していればすぐに昼寝を敢行する上に、物音ぐらいでは目覚めない。
ムンドゥスに体を支配されていたことに何か関係があるようだが、前例のないことなので詳しくはわからない。
今日も睡魔に身を委ねたの体を抱きかかえ、ダンテも共に眠ろうとしていたのだが、最近よく事務所に顔を出すようになった小悪魔がそれを許さなかった。
「んもぉおおおおお!」
「おい、いい加減にしろ。壊れたテレビいくら弄っても、三つの願いを叶えてくれる魔人とかは出ねーぜ」
癇癪を起して叫ぶパティをダンテが咎める。
は騒音程度では目覚めないとわかっているが、睡眠をできるだけ安らかなものにしてやりたい。
ダンテは胸元に乗った姉の頭を撫でる。
「今日が最終回なのにー!」
嘆くパティは、どうやら楽しみにしていたドラマがあったらしい。
だがダンテの知ったことではない。
「そりゃあ残念だなぁ。俺も昼寝を邪魔されて悲しいよ」
生憎ダンテは少女の金切り声とテレビを弄る騒音の中で眠れるほど無神経な男ではない。
むしろ気配や物音に敏感な性質だ。
姉と二人で優雅に午睡を考えていたダンテの計画は、テレビの故障とパティによって丸潰れとなった。
今は学校に行っている息子が知れば思い切り嘲笑しそうだ。
「今すぐ買ってきてよ!」
「金があればな」
「っ、どうしてそんなにすぐお金がなくなっちゃうのよぉ」
ぷりぷりと怒りながらパティはダンテの目の前に来て抗議する。
デビルメイクライ事務所としての会計はのお蔭で黒字を辿っているものの、ダンテ個人の資産はゼロどころかレディへの借金でマイナスばかりだ。
これでも一度姉の帰還によって清算されたのだ。
その後もダンテが支出の割に働かなかっただけで。
「悪魔みてぇな女取り立て屋と、業突く張りで人使いの荒いおっさんがいるからさ」
タイミングを読んでいたかのように事務所の戸が開く。
「誰が業突く張りだって?」
「なんだ、また金になんねぇ仕事持って来たのか?」
事務所に入って来た気配にか、仕事という言葉に反応したのか、が閉ざしていた目蓋をゆるゆると持ち上げる。
「違うな、俺の持ってくる仕事は金になるもんばかりさ。上手くやればって条件付きだが」
冗談めかして笑うモリソンに、はダンテの上から体を起こし、ダンテも姉の背に回していた腕を下ろす。
パティがモリソンに懇願するのを横目に、はダンテの上から降りると青いコートを羽織った。
モリソンの車が二人乗りであることは承知の上であり、車という乗り物があまり好きではないはバイクのキーを手に取る。
ドラマの最終回を見られない少女の嘆きと罵倒から逃れるように、二人を乗せ走り出した車の後ろをのバイクが追って行った。
キャビレット市長であるというマイク・ヘーゲルとの対面もそこそこに、依頼されたのは一人の男の殺害だった。
ソファに並んで座っていた双子がそれぞれ反応を見せる。
面倒だとあからさまに態度に出していたダンテは視線を鋭くし、真面目に聞いていたは逆に一気に興を殺がれたようで態度には出さないまでもつまらなそうに写真を見ている。
聞けば娘と男の逃避行を防ぎたいから男を殺してくれという、それだけ聞けばただの胸糞悪くなるような依頼だった。
その男が現れた時期とキャビレットで起きている通り魔事件の発生時期が同じでなければ。
「あーつまり、そのブラッドはただ通り魔ってだけじゃなく、悪魔だとでも? 馬鹿馬鹿しい」
渡された資料をテーブルに投げ出して、ダンテはソファに背を預けた。
は資料を手元に引き寄せ、静かに目を通す。
市長が話している間も、話を一応は聞いているのだろうが意識は手元の紙に注がれている。
「頼む、ブラッドを殺してくれ!」
扉の外で息を飲む気配には一瞥をくれ、すぐに資料へと視線を戻す。
親の心、子知らずとは上手くいったものだ。
そして、娘と話し合おうとしない彼も子の心を知らないのだろう。
「ちょっと行ってくるぜ、お転婆なお嬢さんが夜遊びに行くみたいだ」
「じゃあ俺は車を出そう」
ダンテの言葉を疑うことなくモリソンが立ち上がりキーを指先で弄ぶ。
驚いたのは市長だ。
娘は確かに執事に見張らせているはずなのに、彼らは逃げ出したという。
「どういうことだ!」
【彼女はそこで話を聞いていた】
目の前に唐突に突き出されたメモに、市長は怒りを吐き出す機会を奪われる。
そしてメモの内容を理解すると目を見開いた。
慌てて扉の方を向くが、当然そこに娘であるアンジェリナがいるはずもない。
【次にすることは何だと思う?】
「っ、アンジェリナを捜せ!」
一番考えられるのはブラッドという男に知らせること、あわよくばそのままの逃避行といったところだろう。
「んじゃ、ブラッドって男に会ってくるとするぜ」
ひらひらと手を振るダンテの背に、も小さく手を振り返した。
バールのカウンターで二人、男が並んで座っている。
ピザとビールを頼んだダンテは、隣のターゲットに声をかけた。
「何を熱心に読んでる?」
「恋愛小説ですよ」
視線を本から動かさぬまま、唇には微かな笑みすら浮かべてブラッドは答えた。
活字というものに縁のないダンテはそれだけで退屈そうだった。
「ふーん、面白いか?」
「ええ、とても。人が人を愛する、素晴らしいことだと思います」
大した興味を示したわけでもない義務的な質問にもブラッドが気にした様子はなく、むしろ好きなものの話ができて嬉しそうに声を弾ませている。
それは何処か陶酔的だったとも言えた。
「真実の愛は美しい」
そんなブラッドの言葉に、ダンテは笑うしかなかった。
愛が美しいわけなんてない。
傷つけて、与えたつもりが奪って、抱きしめようとした手で追い詰めていた。
飢えた獣のようだった。
それでも、剥き出しの愛だったのだ。
美しいだけの愛なんて、有り得ない。
「変ですか?」
「いや」
自嘲気味に刻まれた笑みを掻き消すように、頼んでいたビールが目の前に置かれる。
「はい、ビール」
「ビールごときでどれだけ待たせんだ。で、ピザは?」
「今やってるよ」
この調子ではまだ時間が掛かるだろう。
小さく舌打ちすると、ダンテはビールのジョッキを持ち上げるブラッドの方に向けた。
「乾杯」
「乾杯」
温いビールを煽るダンテの真似をするように、ブラッドもグラスを煽った。
ダンテとブラッドが市長の屋敷に駆け付けた時には、もう全てが終わっていた。
玄関ホールには何らかの魔術的要素と魔力を感じさせる陣が描かれていたが、術者はその陣の上で事切れている。
肩口を斬りつけられた市長と無傷のアンジェリカが隅で震えている。
「あいつが、あいつが私達を!!」
そう言って市長が指さしたのは心臓を一息に貫かれ倒れ伏した執事だった。
市長の傷は術者であった執事の男の持つナイフによってつけられたもののようだった。
はその横で血濡れた愛刀を持ったまま難しい顔で陣を睨んでいる。
黒い線で描かれた陣が赤く光り、一般人では判読できない魔界文字を描きながらその範囲を広げる。
「ちっ、遅かったか!?」
煌々と輝く陣の中央がぽかりと暗い穴に変わった。
寒気のするような闇の匂いがどろりと絡みつくように漂い、その奥から何者かが飛び出してくる。
襲い来る腕とおぼしきものを避け、ダンテは陣の真上に当たるシャンデリアに片腕でぶら下がる。
大きく裂けた口の端から端まで牙で覆われ、深海魚のような瞼のない真円の複眼がいくつも光っている。
気味の悪い触手が巨体から生え、獲物を掴み喰らおうと先端を伸ばす。
は淡々と、市長や恋人達に襲いかかろうとする触手を斬って捨てる。
援護をしないのは後ろの一般人を守るためであり、ダンテを信用しているからだ。
この程度の悪魔ならば、一人で倒せない筈がない。
「遠路遥々ご苦労だったがな!」
姉の無言の期待に応える様に、ダンテはシャンデリアから手を離し、銃を撃つ。
悪魔が悲鳴を上げ鮮血を流した。
襲い来る触手を切り裂きながら、リベリオンの切っ先をその開いた口に押し込める。
「こっから先は立ち入り禁止でな、悪いがお引き取り願おうか!!」
悪魔は悲鳴を上げながら、沈み込むように陣の中に消えてゆく。
血も肉も死んだ術者の肉体も飲み込んで、魔界への道は閉ざされた。
剣を収めたダンテは頭を撫でる手に静かに破顔して、愛を知った悪魔と人間達のやり取りを見守る。
閻魔刀の血を払ったは軽い足取りで屋敷を後にし、ダンテもそれに付き従う。
「市長さんよ、悪いがアンタの依頼は受けられそうにねぇ。ブラッドは愛を知ってる。十分人として生きていけるさ。俺が退治できるのは悪魔だけなんでな」
振り返ることなく、ダンテは姉の後を追った。
嘶く様なバイクのエンジン音を辿れば、もう座席に座っているがヘルメットを被っている。
「あーあ、テレビどうすっかな」
ダンテはの後ろに座り、その細い腰に腕を回す。
青白い魔力光がダンテの前に現れ、文字を形成した。
【その時はモリソンにでも直してもらえ。無理なら金は出してやる】
「おお、太っ腹じゃねーか」
【パティのためだからな】
グリップを捻るとバイクは一路、デビルメイクライの事務所へと走り出した。