女神たちには敵わない
パティの持って来た雑誌を見ながら、載っている衣類の0の多さにダンテは嘆息した。
華やかな布地の数々はどう贔屓目に見ても子ども向けではない。
パティに着せたら背伸びどころの話ではないだろう。
一流ブランド服の恐ろしい値段に顔を顰めながら、今更ながらにダンテは服を買ってやると言ったことを後悔していた。
幼いとはいえ相手は女だ。
あのおっかない金貸しや見た目だけは母に似た悪魔、そしてDevil May Cry最強と謳われる姉と同じ性別を持った生き物なのだ。
吹っかけてくるのは目に見えていたのに、所詮は子どもの服だと何処か甘く見ていたのはダンテの落ち度である。
当然ながら何処をどう探しても雑誌に載っているような服を買う金はない。
財布の中身は悲しいほどにスッカラカンである。
事務所の会計は只今ソファでお昼寝真っ最中のが完全に管理しており、ダンテが使える金額は働いた依頼料から一定の生活費を差し引いた分となるのだが、週休六日制と言い切るような男だ、懐に入る金額はたかが知れている。
そこから更に個人的に作った借金の返済があり、残金は微々たるもの、正直ネロの小遣いの方がまだマシではないかと思ってしまうような金額しか彼の財布には残らない。
所持金で息子に負けていたらあまりにも虚しくなるため、実際に比べたことはないが。
「ケッ、馬鹿馬鹿しい。誰がこんな高いモン身に着けんだよ」
呆れ混じりに吐き捨て、しかし開いていたページの青いドレスがに似合いそうだと思いながら椅子の背もたれに体重を掛ける。
もちろんプレゼントするだけの金も甲斐性も、彼にはない。
「シンディの店で朝まで飲んでもお釣りがくるぜ」
ドアが開き入ってきた招かれざる客を見て見ぬふりをしてダンテはぼやく。
「ったく、嫌な賭けしたもんだ」
ソファからが起き上がる。
招かれざる客ことレディは、ダンテにとってはおっかない借金取りの一面が大きいが、にとっては友人の一人なのだ。
がいらっしゃいの声の代わりに手をひらひらと振ると、レディもハァイと笑って手を振り返す。
そのまま流れる様な動きでダンテの手から雑誌を奪い、中身を流し見た。
「にプレゼント? それとも女装でもするつもり?」
「似合いそうなヤツがあるなら教えてくれ」
しれっと首を竦めながら答えるダンテの前に雑誌が放り投げられた。
「ハッ、相変わらずアンタのジョークは笑えないわね」
来る度、ダンテに少なくない額の借金返済を迫っているレディ故の皮肉交じりの言葉が叩きつけられる。
女装癖がないことも知った上での冗談だ。
そのままレディがテーブルに腰掛けると、紅茶が差し出された。
レディはそれが自分好みのものだと知っていて、紅茶を差し出した友人に礼を言い、口に運んだ。
ダンテの分の紅茶をテーブルに置いたはレディに小さく微笑むと、先ほどまで寝ていたソファの上に今度は腰掛け、自分の分の紅茶を啜る。
「何の用だ。借金の取り立てなら間に合ってるぞ」
また借金したのかと、突き刺さる呆れと怒りの視線が痛い。
ダンテはこの時ばかりは愛おしい姉の方を見ないように身を縮めながら、テーブルの上の紅茶に手を伸ばす。
「安心して、今日は聞きたいことがあったから寄っただけ。実は昨日、狩るはずだった悪魔を取り逃がしちゃってね」
「そいつは相手も災難だな。これから先、死ぬまでお前につけ狙われるわけか。同情するよ」
腕を知っているダンテの暗に賞賛の混ざった言葉に、言われたレディも多少気を良くする。
相手が最強のデビルハンターならば尚更、必死で磨いた腕を認められるのは誇らしい。
だがその感情をおくびにも出さず、レディは取り逃がした相手の特徴を思い浮かべる。
「稲妻を操る女悪魔、心当たりない?」
「稲妻?」
「そっ、見た目は人間だったけど……」
「知らねーな。人間にしか見えないような悪魔なんて、この世に五万といるぜ」
レディの言葉を遮るようにダンテは言い捨てる。
稲妻を使う悪魔も、人間の姿をした悪魔も、彼の言う通り探せばいくらでもいるのだ。
悪魔が人間を陥れる為に人間に化けるのは常套句であるし、悪魔の殆どが炎や氷などの属性を持っており、稲妻もそう珍しいものではない。
「そうそう、銃も撃ってきたわ」
「そりゃ悪魔だって指がありゃ、引き金くらい引けるだろ」
銃と剣を駆使し創造主に逆らった大悪魔を父親に持ち、自らも銃を使うダンテの言葉には説得力がある。
実際、どこぞの魔女は魔界製の銃を四肢に着けてスタイリッシュに戦っているのだから、魔界の武器にも銃はあるのだ。
需要のないところに供給は生まれない、銃があるということは使う者がいるということになる。
「ふっ、そりゃそうね」
レディは紅茶のカップをテーブルに置くと身軽な動作で立ち上がり、武器の飾られた壁に向かう。
流石の彼女でも借金の肩にと武器に手を出すことはない。
ダンテの武器は常人には扱えぬ物であり、デビルハンターにとって武器がどれだけの意味を持つ物か知っているからだ。
ダンテもそれをわかっているので好きにさせる。
「ただ、その女悪魔、両手に銃を持っていたから。アンタみたいに」
意味ありげな視線にダンテは鋭い一瞥をくれるが、レディは意に介した様子もなく背を向ける。
「じゃあね。紅茶ご馳走さま」
言いたいことだけ言って去ろうとする細い背中にダンテは悪戯っぽく言葉を投げかける。
「興味深いな、その女。とっつかまえたら是非会わせてくれ、銃の使い方を教えてやる」
「それはないわ。次に見つけたら殺すから」
「へっ、おっかねぇ女だぜ」
久々に大きな獲物の予感に燃え上っているのだろう、薄い笑みにはどうしようもない悦びが滲んでいる。
今度こそ逃がしはしないとヘテロクロミアの瞳が力強く語っていた。
外へ出ようとドアを開けると小さな姿が滑り込んでくる。
「あ、レディ! もう帰っちゃうの?」
「ごめんね、今度一緒に遊びましょ」
柔らかい声音でパティの頭を撫ぜるが、滲み出た殺気は消えない。
「うん……」
気配に敏感でないパティも何かを感じ取ったように、立ち去るレディの背を目で追う以上のことをしようとはしなかった。
無邪気で強かな少女は、先程感じたよく知った女性の異様な空気を深く考えないようにし、今回のパトロンに駆け寄る。
その姿は小さくとも、今さっきすれ違った借金取りとよく似ていた。
「ダンテ、ちゃんと見てくれた!?」
「お前、自分が何歳かわかってるか? 子ども服なんか何処にも載ってないだろうが」
「だって! 折角服買ってもらうんだったら可愛い服の方がいいもん!」
愛らしいまなじりを吊り上げて、机の上に雑誌を叩きつける。
周囲の女性の影響をしっかりと受けてパティもまた成長しているようだ、主にダンテにとって悪い方向に。
「大体、何で俺がお前に“可愛い服”買ってやんなきゃなんねぇんだ」
「約束したじゃん! カードでダンテが負けたら、服買ってくれるって!」
「昨日今日買ってやるとは言ってねぇよ」
「そんなのズルイ〜」
いい大人がみっともなく九歳の子どもを言いくるめようとしている姿は見ていて気持ちの良いものではない。
ましてや、その大人が自分が養育した実の弟で恋人ならば尚更に。
は静かにパティの背後に立つと、その華奢な肩を叩き自分の存在を知らせる。
「あ、、こんにちは!」
いつも申し付けられている言葉に従い、少女は元気よくきちんと挨拶をする。
世話を焼いてくれるお母さんの言葉には誰も逆らえないものだ。
皆のお母さんことはよく出来ましたとでもいうかのように頭を撫でてから、改めてパティに相対すると、おもむろに親指でダンテを指し示し、次に右手の親指と人差し指を擦るような動作をし、そっと首を左右に振ってから、最後に慈愛に満ちた笑顔を見せた。
ひどく優しい表情だが、表していることは「こいつに金はない」ということだ。
現実を突きつけていると言っても過言ではない。
ダンテは顔を引き攣らせたが、事実である上に厄介な少女を姉がどうにかしてくれるようなので、いつもはお喋りな口を噤む。
代わりにわざとらしく音を立てて紅茶を啜った。
パティは不満そうにぷぅっと頬を膨らませている。
パティからしてみれば、ダンテに金がないことなど知っているのだ。
だが、彼は大人である。
パティが死にそうになったところを助けてくれた、かっこいい大人なのである。
だからこそ、なんだかんだ言っても最後には妥協して金を出してくれるだろうと思っていた。
大人なのだから、いくらないとはいえ多少の金は持っていて、それを出し渋っているのだろうと思っていたのだ。
は少女のそんな甘えを見透かし、そっとメモ帳に数字を書き出す。
憐れみに満ち満ちた顔で差し出されたメモの、頭に$の付いた数字のあまりの貧相さに、パティは思わずダンテの顔を見て、もう一度メモを見て、今度はの方を見た。
氷色の瞳の中に宿る真摯な光にパティはそれ以上の追及を止める。
時として、目は口よりも雄弁である。
「ダンテ、こんなにお金ないの……!?」
信じられないと言いたげに真ん丸い目をさらに丸くしたパティがやっとの思いで吐き出した言葉に、ダンテは明後日の方向を見ることで応えた。
ダンテの懐具合など、姉にはお見通しなのだ。
メモの内容を見るまでもなくそこに書かれている金額が財布の中身とそう違いないだろうとわかっているダンテは、冷めきった紅茶を一気に飲み干して、苦し紛れにカップをに突き出す。
「おかわり」
声を失っていることは理解しているのに、姉の生温かい瞳と無言がこの時ばかりは痛かった。