喧嘩人形と妖精はかく語りき
公園のベンチでぼんやりと煙草をふかす平和島静雄を見つけて、セルティはバイクを止めた。
近寄って、顔を上げた静雄にカチャカチャとPDAに文字を打ち込んで見せる。
『今日はやけにぼんやりしてるな。どうかしたのか?』
「いや、ちょっとな」
少しだけ言い淀むと、静雄は自分の頭を手でぐしゃりと掻き混ぜた。
機嫌が悪いのではないことは見てとれていたので、セルティは静雄の言葉を待つ。
静雄の手の中にある煙草が、無駄な煙を産み出しながら灰になっていく。
あーうー、とよくわからない言葉を呻いていたが、やがて思い切ったようにセルティを見た。
「ちょっとさ、聞いてくれるか?」
セルティが頷くと隣を勧められたので、彼女は素直に腰を下ろした。
紫煙を一度だけ吸い込むと、やがて静雄はゆるゆると話し始めた。
「今日はすげぇツイてない日だったんだ。朝から色々あってさ」
サングラスの奥の視線は手元の煙草を見つめている。
吸われなくとも燃え続ける煙草が白く灰を落とした。
「極めつけはノミ蟲に会っちまったことだ。あの野郎、今日も池袋に現れやがってよ」
額に血管が浮かび始めるが、いつものことなのでセルティは何も言わない。
それだけではないだろうと、無言で待っていると、静雄は少し気を鎮めながら再び口を開く。
「んで、いつも通り標識ぶん回して、あいつに投げつけたんだ。けど、臨也の奴、ノミ蟲の分際で避けやがって、そこから逃げ出しやがった」
煙草を持っていない方のベンチに触れていた手からベキリと音が聞こえた。
だが静雄もセルティもすでに慣れてしまっているので、今更気にすることはない。
むしろまだこれぐらいで済んでいるのだからマシだろうとさえ思っている。
「俺は追おうとしたんだ。けど……」
そこで静雄は言い淀んだ。
なんと表現すべきかと言葉を選ぶように、視線が空を漂う。
セルティはじっと待った。
急かすべきではない時は何も言わない方がいい。
待つという態勢であるからこそ、彼女は沸点の低い池袋最強とよい友人関係を保てているのだろう。
「なんつーか、外人の女に止められてさ」
ピクリとセルティの肩が揺れた。
言葉を探すのに必死な静雄は気づかずに、話を続ける。
「銀髪でギターケース背負っててさ、日本語がめちゃくちゃ上手くて、『この標識はお前が投げたものだな』とか言って、標識を目の前に突き出されたんだ」
『銀髪』と『ギターケース』に、わかりやすいほど大げさにセルティが反応した。
彼女は昼間の一幕を思い出す。
だらだらと出るはずのない脂汗が彼女の背中を伝った気がした。
「その後、なんか説教されたんだけど、俺の力を見た後だってのに、言ってることがすげー普通でさ。『喧嘩するのは自由だが、周りを巻き込むのは関心しない』とか『周囲の人間を怪我させて、責任が取れるのか?』とかさ。親以外にあんな普通に怒られたの初めてだったな」
もう成人してんのにさ、と笑う静雄は穏やかな表情だった。
もし、それがセルティが思い浮かべた人物であれば、確かに静雄を怒らせるような人物ではない。
彼女はかなり実直で真面目な性格だとセルティは見とっていた。
静雄の力を見ても怯えることなく接するだろう。
彼女からすれば、驚嘆すれども畏怖の対象とはなりえないだろう。
だが、
――少しばかり世間が狭すぎないか!?
思い切ってセルティはPDAに言葉を打ち込む。
『もう一人、銀髪の男はいなかったか?』
画面を見せると、静雄は目を見開いて、ぽんっと手を打ち合わせた。
それだけでもう十分だった。
「ああ、確か後ろにいたぞ。よくわかったな。知り合いか?」
がっくりと肩を落としたセルティは指を動かす。
『……ああ、少しな』
「ふーん、世間は狭いな」
本当にな、と心の中で呟いて、セルティはちょっぴり哀愁を漂わせながら財布の中にある、一枚の白い紙片を思い浮かべていた。
普通に扱われたということで嬉しいのだろう。
話題の女性は、一通り説教をした後、「まあ、元気なのは悪いことではないしな。無茶は若いウチにしておけ」と静雄の頭を軽く撫でて去って行ったという。
彼女が座っていたベンチには、いつの間に買ったのか冷たいコーヒーと一枚のメモが置かれていた。
メモにはただ一言『長話に付き合わせた詫びだ。飲んでくれ』と流暢な字で書かれていた。
「なんつーか、大人だよな」
まだ開けていないコーヒーの缶を手で弄ぶ静雄を横目に、セルティはPDAを叩く。
『実はな、私も彼女とは今日あったばかりなんだ』
静雄は目を丸くし、ほー、と何とも気の抜けた声を発する。
「そりゃ、本当に偶然だな」
『だろう? だから、正直静雄の話にはびっくりした』
本当はびっくりどころの話ではないのだが、わざわざそれを言う必要もないだろうとセルティは手を休める。
なにせ出会い方があまりにも衝撃的過ぎた。
確かに目立つだろうとは思っていたが、チャットならまだしも、まさか身近な友人から同じ人物を語られるとは思ってもいなかった。
「そういえば日本語が上手かったな」
ほら、と差し出された白い紙切れには、なるほど美しい文字が並んでいる。
喋るだけならまだしも、書くのも上手いとは羨ましい限りだ。
『弟さんはまだ日本語があまり話せないらしい』
「へー、だから喋んなかったのかな」
『かもな』
PDAでは静雄に同意を示すセルティだったが、本当はそうでないことを知っていた。
男の真上に降ってきた上に刀まで突き刺した女性は、セルティの姿を確認するなり慌てて近寄った。
「すまない! 怪我はないか!?」
思わぬ展開に置いていかれているセルティは、とりあえず必死に頷いてPDAに文字を打ち込んだ。
『それより、後ろの彼は大丈夫なのか!!?』
自分よりも襲撃者を心配するセルティに、彼女は少しだけ目を丸くさせ、ほわりと微笑んだ。
背後を一顧だにしないまま、彼女はセルティに怪我がないかを確認する。
『あの……』
「あれの心配はしなくていい。その内勝手に起き上がる」
セルティとシューターに傷がないことを確認すると、彼女は改めてセルティの目の前で頭を下げた。
パニックに陥るセルティの前で彼女は淡々と語る。
「すまない。私の監督不足だ。女性を危険な目に合わせるなど……あの馬鹿にはよく言っておく」
そこで漸く彼女は後ろを見た。
セルティもつられて倒れているはずの男を視線で追う。
男は、立ち上がっていた。
自分の胸を貫いた刀をコンクリートに突き刺し、服の埃を払っている。
『は、え? 胸を貫かれてた、は?』
人間の構造上、胸を貫かれると心臓か肺、どちらかの重要な臓器に損傷を負うこととなる。
だが男は平然と服を整え、こちらへと歩み寄ってくる。
「Dante」
冷たい女性の声は異国の響きを伴って紡がれる。
『トリッシュのように人間界に適応している悪魔も駆除するつもりか? 馬鹿かお前は』
『悪かった。ついはしゃいじまった』
両手を上げて降参のポーズを取る男に、彼女は眉を顰める。
『彼女に謝れ』
『わかってるよ、姉貴』
二人の会話が止まると、くるりとダンテと呼ばれた男がセルティの方を向いた。
びくりと、過剰なまでに肩が震える。
なにせ相手は異様な力の持ち主だ。
首を破壊されない限り死ぬことはないと思うが、万が一ということはある。
出したままだった黒い鎌の柄を両手でしっかと握りしめ、セルティは男を見た。
『あー、そんなに怯えられるとやりづらいんだが……』
『自業自得だ馬鹿者』
指先で頬を掻く男の言葉を女が斬って捨てる。
「すまなかった」
少しのぎこちなさを伴った言葉は確かにセルティに届いた。
その後ろで腕を組んでいた女も、それを確認すると腕を解いた。
「私からも謝罪を。この度は弟がご迷惑をかけた」
真摯な女の声に、これ以上謝られても困ると思ったセルティは急いでPDAに文字を連ねた。
『姉弟なのか?』
「ああ、双子でな」
女の顔が優しく緩む。
なるほど、男女差による体格や身長の違いはあれど、よく見ると顔の造りが似ている。
何よりも、同じ銀の髪が双子だという事実を容易く納得させる。
だが纏う表情がかなり違う。
姉が一見冷たいようでひどく優しく笑むのに対し、弟は明るいようで何処か底知れぬ闇を抱えているように見える。
「ああ、自己紹介もまだだったな」
女はすっと何もない空間に手を差し伸べる。
何をするのかとセルティが見守っている中、伸ばされた手の傍から、何かが滲み出る。
黒い靄のようなものはその空間を歪めながら、ぞわぞわと形作られていく。
セルティが一歩引くと同時に、女の手の中には鞘に納められた一振りの刀があった。
「私は。こっちは愛刀の閻魔刀<ヤマト>だ」
が手を離すと、刀は溶けるように消えていった。
驚くセルティには何のことはないと笑う。
「日本で刀を持ち歩いていると法に触れるからな。今は異次元に隠れさせている」
異次元というのが理解できなかったものの、自分の影のようなものかとセルティは納得した。
『隠れさせている』という言葉には少しの引っかかりを覚えたが、続けられた言葉にセルティは意識を戻した。
「こっちはダンテ、私の不祥の弟だ。まだ日本語がそう話せないので、私からの紹介で悪いな」
『英語で大丈夫だぞ』
セルティが差し出したPDAの文字に、は退屈そうにしていた弟の方を向いて声をかける。
『英語でいいそうだ。自己紹介しておけ』
『……わかった』
ダンテは優雅な足取りでセルティの目の前に立つ。
中々の長身だ。
流石にサイモン程はないが、静雄かそれより少し高いくらいだろう。
目の前に立たれると、結構な威圧感がある。
『姉貴が紹介したとは思うが、ダンテだ。職業はデビルハンター』
――デビル、ハンター?
首を捻るセルティにダンテはわざとらしく首を振る。
『その様子じゃ、この世界には悪魔はいないってことか』
『悪魔、とは?』
PDAに、今度は英語で打ち出す。
見せられた画面に、仕方なさそうに首を横に振るとダンテは口を開く。
『魔界から現れては闇夜に人間を襲うイカレた奴らさ。それを始末するのが俺らの仕事ってわけだ』
――魔界? 何かのゲームか?
セルティが理解できていないのだとわかったのだろう。
ダンテは姉に視線で説明役を投げ渡した。
黙って見ていたは、とりあえずと、セルティに声をかけた。
「少し時間はあるか?」
仕事から帰る途中だったので、時間ならまだある。
新羅にはメールしておけば大丈夫だろう。
あとで帰りが遅いと文句を言われるのは承知の上だが、疑問は晴らしたい。
その節を伝えると、は軽く頷いた。
「そうか、ならもう少し時間を頂こう」
そう言うと、くるりとダンテを見た。
『とりあえず、結界を解け』
パリンパリンと硝子の割れるような音がして、セルティは今更ながらに追いつめられていたことを思い出し、どうにか無傷で出られたことに感動した。
その後適当な公園で二人は自分たちの身の上を語った。
曰く、この世界の人間ではなく、その身には半分悪魔の血が流れていると。
証拠は十分体験済みだったので、セルティは簡単に受け入れた。
セルティとダンテの間に降ってきたものも、が魔力で作り出したものだと言う。
『此処で実演するわけにはいかないがな』
周囲を見回しては笑った。
公園のベンチで首なしライダーと双子の外国人が話しているのはかなり人の目を引いているようだ。
他に知られないため、僅かな抵抗ではあるが、会話は全て英語で行われている。
知名度が高いとやっかいである。
代わりに、セルティも己の身上を語った。
デュラハンという妖精であり、アイルランドから自分の首を捜しに来たこと。
今は運び屋をしていて、闇医者と共に暮らしていることなど、包み隠さず。
二人は僅かに驚いたようだったが、それは悪魔でなく妖精であることに対してのようだった。
『妖精ね、この世界はそんなもんがいるんだな』
珍しそうにジロジロとセルティを見るダンテに教育的指導という名の鉄拳が降る。
頭を抱えたダンテは気にせず、女二人で会話を進める。
『そっちにはいないのか?』
『殆ど悪魔の仕業だな』
残りは悪戯か幻覚かだとは苦く笑った。
どうしたのかとセルティが問えば、悪魔の仕業と乗り込んで行った先で何度かそのようなものに遭遇したと言う。
無駄足を踏まされるのはあまり楽しいものではないと彼女は笑う。
『代わりと言っては何だが、こちらには悪魔がいないようだしな』
ふむ、と何やら考え出したかと思うとは立ち上がった。
抱えていたバッグから白い紙を取り出すと、ボールペンで書きこんでゆく。
そして完成したそれをセルティに渡した。
「そろそろ私たちはお暇することにしよう。それは連絡先だ」
渡されたそれは名刺らしい。
中央に印刷された店名と二人分の名前、その下に電話番号とメールアドレスが書きこまれている。
『さ、行くぞ』
『了解』
そのまま二人並んで去ってゆく。
セルティは遠ざかっていく二人を見ていたが、やがて片方がくるりとUターンして小走りで寄ってきた。
忘れ物かと自分の周囲を見回すセルティの前まで来たのはダンテだった。
何か落としたのかと、打ち込もうとするセルティを遮るように声が響く。
「本当は結構日本語も話せるんだが、話せないと思わせておいた方が姉貴が構ってくれるだろう? でもアンタはイイ奴っぽいし、それ、打ち込み直すの面倒そうだから教えておく」
いきなり流暢に日本語で話し始めたダンテに、セルティは本日何度目かの驚愕を顕わにした。
――それはアリなのか!!?
「には秘密だぜ?」
悪戯が成功した子供のようににやりと笑うと、ダンテは軽く手を振って、姉が待つ人ごみの中へと入って行った。